リトルビッグプラネット

物理計算はゲームを面白くするのか? 2009_01_19

 

PS3は素晴らしい。
とても静かだし、『まいにちいっしょ』はただで観られるし、DVDのアップスキャンコンバータは超綺麗だし、ブルーレイも再生できる。
ホントに素晴らしいなあ、と思っていたが、よく考えたらプレイしたいゲームがなんにもなかった。
これはいけないということで、『リトルビッグプラネット』をプレイしてみることにした。
すごく評判が良いそうじゃないか。

しかし実は、私はあんまりこのゲームの素晴らしさが判らなかった。
ステージが極めて適当に作られているような気がするのである。
このゲームは物理計算をまじめに行っているらしいのだが、そのことがマイナスに作用しているように思われた。
ちょっとこのことを説明してみたい。

いままで我々が遊んできたゲームというのは設計上、行動に制限があった。
キャラクターは1ドットとか、半ブロック、1ブロック単位で移動しており、移動速度もある決められた一定のパターンで決められていたのである。
その結果、ある局面になったら、例えば、壁に向かってジャンプして、壁をけってブロックの上に飛び乗るような場合、プレイヤーの行動と結果は精々数十パターンぐらいしかなかったはずだ。
創り手はこの位置でキャラが飛んで、どこに着地して、プレイヤーはこのぐらいのタイミングでボタンを押すだろう、ということを厳密に想定してマップメイキングをしていた。
制限があるからこそ、素晴らしいマッピングが生まれるのである。
良くできたアクションゲームやシューティングゲームをやっていると、ああ、そのためにこの障害物はここにあるのか!と稲妻にうたれるかのように理解できる瞬間ってあるでしょ?
あれですよ。

ところが、『リトルビッグプラネット』をプレイしていると、なんだか各ギミックが適当に置いてあるように感じられるのである。
稲妻にうたれるどころか、蚊に刺されたほどにも創り手の意図を感じない。
なんでかな、と考えてみると、どうもまじめに物理計算しているからではないか、と思えてきた。

まじめに計算しているからプレイヤーをドット単位で把握しきれない上に、キャラの初速などで結果が変わってしまうから、厳密なマップメイクが出来ないのではないか、あるいはやっても意味がないのではないか、と思うのである。
想定するプレイヤー像がぶれると、どうしてもマージンを大きく取らないといけないからな。
一つ一つの面をやり込ませるぐらいなら、素人が創ったステージでもいいから、どんどん目新しいのをやってもらおう、というスタンスなのかもしれないが。

このゲームは、物理計算をゲームに持ち込むことによって、ステージを作る喜びを与えてくれるらしい。
確かにマップメイクする側は運動方程式と初期値さえ与えてやれば、結果は自動的に生成されるから楽だろうし、結果を見る楽しみもある。
創る側は楽しいのかもしれない。
しかし、それがホントにゲームを面白くしているのか?というと、私はあんまりよく判らなかった。
このゲームを設計した人やマップを創った皆さんが期待するほどには、その労力は喜びに結びついていないのではないか、と思っているのである。
私はあくまでプレイする側の立場だ。

ちなみに私はマップメイクを全くやらずにこれを書いている。
トンチンカンなことを書いている可能性もあるが、そこまでたどり着く前に諦めた。


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