『Nintendo Labo Toy-Con 01: Variety Kit』のダンボールはとっくに捨てた。 このシリーズの最大の欠点は作った作品が邪魔なことである。 一軒家に住んでても邪魔なんだから、ワンルームに住んでる人だと置いとけないだろうな。 今回の『04: VR Kit』も邪魔になることは分かっていた。 分かってはいたけど、風コンやバズーカの邪魔さ加減は半端なかった。 こんなのはリビングに置いておけない。 早く片付けたいと思い、疲労に耐えながら一通り全部遊んだ。 もうたぶん遊ぶことはないだろうと思い、とりあえず使っていない部屋に押し込んだよ。 虫がたかるとイヤだから、ゴミ袋に包んでね。 そう遠くないうちに捨てることになるだろう。 今回遊んでみて、VRって結構凄いなと思うところもあったが、やはりVRが普及することは当面無いだろうと確信した。 ゲームは得をしなければならない、という観点からすると、VRは落第だと思われるのである、少なくとも当面は。 結局のところVRになったところで、狭義の意味でゲームの構成要素になっていなければあまり意味は無い。 ではVRの何がゲームになっているのか、を考えると、見づらくなっているのだとしか私には思えないのだ。 視野が狭くなって、今まで画面の端に表示されていた物が見えない。 大きく視野を動かす時は首や体を動かさなければならないが、従来であればスティックを倒すだけで良かったのだから、考えようによっては損な行為である。 ということは、それに見合うだけの喜びがそこに生まれていなければならないだろう。 それでは得があるのか、と考えれば、それはある。 ただし、最初だけ。 最初は、おお!スゲー!って思うんだよ。 しかしそれも長くは続かない。 見てただ凄いってのは、今までCGがどんどん綺麗になっていたのとベクトルとしては同じだ。 見慣れていくと、それは価値を失っていくからね。 一方で、見づらいことや操作がメンド臭いことはずっと変わらない。 つまり時間の経過とともに、得だったものが損に変わっていくんだ。 とすれば、VRは自分で所有するものではなく、遊戯施設などで一回切りの体験を楽しむものだ、という説には説得力があると思われる。 『04: VR Kit』のような粗悪品でVRを判断するべきではない、という意見はもちろんあるだろう。 しかし現状、特に面白いゲームが開発されるわけでもなく、どんどんスペック競争に走っているところをみると、どうも未来は暗い気がして仕方がない。 本質的にゲームが面白くなるのであれば、スペックが低くてもどんどんゲームは開発されるはず。 3Dテレビとか裸眼3Dが今ひとつ流行らなかったように、VRも流行らないんじゃないかな。 大画面テレビに視野が埋まるぐらいまで近づいてプレイするのが一番お手軽で楽しいという結論になりそうな気がする。 |