ペルソナQ2 ニューシネマラビリンス

ハッピーエンドでなくていい 2019_01_10

 

ビジネスでゲームをつくる以上、当然ターゲットがあるだろう。
ターゲットに当てはまらない人間がとやかく言うほど愚かなこともないとは分かっている。
しかし、一体どういうユーザーを狙ったのかよく分からないのが『ペルソナQ2』。
誰が喜ぶんだ?これは。
それでも、エンディングを迎えてからよくよく考えてみたら、こっちも悪かったのかもしれないと反省することになった。

これほど評判が悪く且つ特定ファン向けの作品を今からプレイする人はいないと思いますが、万が一にもプレイするつもりがあるのであれば、ここから先は読み進めないで下さい。
エンディング付近の話まで大凡書いちゃいます。


まず最初から変な感じだったんだ。
敵が異様に固くて、SPが少ない開始直後はかなり苦しい。
私はすぐに難易度を下げたね。
ペルソナのファンって、こんなの喜ぶのかな?というのは第一印象としてあった。
私の勝手なイメージでは、あんまりキツいのは喜ばなさそうな気がするのだが。
そのくせ、ダンジョンは割と単純。
これだと「世界樹」のファンは物足りなさそうな感じ。
誰をターゲットにしてるの?とは思ったな。
私は「ペルソナ5」のキャラを知らないから、わちゃわちゃ会話されてもよく分からないし、あんまりやりたくなかった。
それは私の事情だから、どうでもいい話なのだが。

でも、アイディアは悪くないと思うよ。
ダンジョンを映画に見立てて、ダンジョンを攻略することによって映画の筋書きを変えるという点は。
目新しいじゃん。
問題はその内容だよ。
メチャメチャ説教臭いの。
しかも在り来たり。
お話の核になる謎の少女を立ち直らせるためだから、やむを得ないと言えばやむを得ないのだろうが、一体こんな話を誰が喜ぶのか?と思わざるを得なかった。

まあ、百歩では足りないけれども、千歩譲ってこの少女に関しては良いとしよう。
知り合ってしまった以上、放ってもおけまい。
問題は映画館を出てからよ。
閉じ込められていた映画館は、その傷ついた少女が逃げ込んだ心のシェルターみたいなものだったと判明する。
映画館は一つだけじゃなく、周りに無数の映画館があった。
傷ついて引きこもっている人はそりゃ1人じゃないからね。
でも、この少女は立ち直ったわけだから、現世に帰ればいいじゃないか。
敵のボスキャラも帰っていいって言ってくれてるんだから。

ところが帰らない。
他の人も助けるとか言い出しちゃうんだ。
そんな馬鹿な話があるか!
人にはそれぞれステージがあるだろ。
逃げることでしか生きられない人もいれば、逃げることでは生きられない人もいる。
全部一緒くたに放り出していいわけがない。
全員ひとりひとり面倒が見れるのかって話だよ。

敵が悪いヤツならまた話は別だが。
そりゃ、負のエネルギーを集めて世界を滅亡させてやる!みたいな敵なら納得する。
でも全然悪いヤツじゃないの。
おそらく神様の一種なんだろうね。
引きこもり達をただ庇護してやってるだけ。
倒してどうするんだよ。
そんな話、納得できるわけないじゃん。

こんな酷い話は見たことがない。
どんなプレイヤーを想定してこの物語を創ったのか、私はずっと考えていたんだ。
で、気付いた。
これはハッピーエンドを求めた結果なのかなって。
『Q1』のエンディングは、私の曖昧な記憶によると、救いようのない終わり方だったような気がする。
お話の核になる少女はそもそも助けようがない存在だった。
面白かった記憶はあるのだが、多くの人はどうせならハッピーエンドが良いと思ったんじゃないか。
そういうのが伝わったのかな、創り手に。

ハッピーエンドにするには、何かしらの問題を解決した上で、現世的な利益をもたらすようなシナリオを考えなくてはならない。
そこにダンジョンを映画に見立てるというアイディアを被せた結果、こんな話になっちゃったんじゃないか。
それぐらいしか想像のしようがない。
ハッピーエンドを求める人向けに創ったと考えれば、狙ってるユーザー層がわからないのも多少は納得がいく。
年齢、性別、置かれた環境、いろいろあるだろうからね、ハッピーエンドを求める人にも。

しかし、もしそうならハッピーエンドでなくていい、と伝えた方が良いのかもしれない。
あくまでも、どうせならハッピーエンドがいい、というだけ。
面白いお話が、あるいは納得できるお話が先にあってのこと。
ハッピーエンドから逆算して組み立てるようなお話では、なかなかどうして、気難しい私を納得はさせられないですよ。


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