ペルソナQ シャドウ オブ ザ ラビリンス_2

自分のイマジネーションにケチをつけるバカはいない 2015_03_07

 

『ペルソナQ』の序盤、これはアカンと思うことがあった。
ペルソナの世界観に世界樹システムをはめ込むために、ああでもない、こうでもない、とキャラ達が話し合うのだが、そもそもペルソナを知らないから、なんのこっちゃさっぱり分からなかった。
世界樹のシステムには慣れてるから、説明なんかしてくれなくてもいいのに。
まあしかし、ゲームを楽しむという観点からは、世界観も理解しているに越したことはないだろう。
今更『ペルソナ4』をやる気にもならなかったので、ゲームと平行して「4」のアニメ版も私は消化していった。

何とか2クール分完走したから、まるで面白くないとまでは言わないが、納得はしてなかった。
今どきテレビの中に別世界があるとかって、なんか古すぎないか?(実際古いんだろうが)
あんなに大胆にテレビの中に入れちゃうなら、警察にでも通報した方がいいんじゃないの?
といった具合に、なんとなくケチをつけたい衝動に駆られるんだ。
作り話を受け入れらない感覚は常にあった。
それは頭身の高いキャラが真面目な話をするからなのかもしれない。

一方で、『Q』のキャラは基本ふざけている。
アニメで観たよりはギャグ寄りだな。
絵柄が等身の低いデフォルメ調であることとの整合をとったのかもしれないが、まずまずダンジョンのふざけた雰囲気ともマッチはしていた。
ときどき挿入される会話もそれなりに楽しく消費はできたつもり。
もちろん『ペルソナ3』のキャラは全くわからないが、コロマルはとりあえず可愛かった。
<注意>突然だけど、これからプレイするつもりのある方は、ここで読むのを止めていただきたい。>


ところが、最後の方になって話は深刻になる。
玲ちゃんは実は・・・って話になってくるのだ。
そして、ラストは感動的にまとめられていた。
割と素直に感動できたな。
ケチをつけようと思えばつけられるはずなんだ、ホントは。
設定を受け入れられない、といってしまえばそれまでだし、受け入れても、そもそも元に戻っただけじゃんって話にもなる。
でも、そう感じないのは、自分の寄与分が高いように感じられるからだろう。
自分のイマジネーションにケチをつけるバカはいない。
自分の取り分を増やすという意味においては、デフォルメキャラはなかなか良かったんじゃないか。
描く量が少ない方が自分の裁量が大きくなるわけだからね。

狙いがはじめからそこにあったのかどうかは分からないが。
3DSの制約からデフォルメキャラを採用して、そこから全体の雰囲気が決まってきたのかもしれない。
二人が手をつないでいるエンディングを見ながら、これはなかなかよくまとまった作品だと私は感心していた。


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