「過ぎたるは尚及ばざるが如し」 特に説明する必要もないことわざである。 こうやって後から文章を書こうと思っていると、身の回りで起こった出来事にいちいち感想を持つ習慣がついてきて、「ああ、過ぎたるは尚及ばざるが如しだなあ」などとしばしば思う。 なんと恐ろしいことに、私の大好きな「逆転裁判」の新作、『逆転裁判 蘇る逆転』をプレイしていても、この言葉が頭をよぎっていたのである。 それは新作部分にあたる第5話をプレイしはじめてすぐのことだった。 第5話には弁当売りのお姉さんが登場する。 このお姉さんのキャラ付けに「○○弁で良かったかしら」とかいって弁当を差し出すモーションがあるのだが、これが私に「過ぎたるは尚及ばざるが如し」という言葉を思い出させたのである。 弁当が2・3種類ならそうも思わなかったのだが、弁当の種類が豊富でいちいちその全てに異なるCGが付く。 プラットフォームがNDSに変わったことでよっぽど容量が余ってたんだろう。 ちょっと引っかかるものがあった。 その後にテンガロンハットを被った巡査やら、ちょっと頭の弱い警官なんかが登場して、私はまた「過ぎたるは尚及ばざるが如し」と思った。 キャラが濃すぎる。 いや、一キャラが濃すぎるというよりは、登場するキャラみんなが濃すぎて、胃もたれしそうな感じだったのである。 もうちょっとメリハリがあった方がいいのではないか、などと思ったりした。 この感覚は何なんだろう、ってプレイしながら考えていた。 「逆手裁判」をプレイしていて、こんな感覚に襲われたことは今までなかったのである。 考えてみると、やっぱり機能的にも容量的にもヘボいGBAでこそ「逆転裁判」は成立したんだ、という思いがあって、それがほんの少しの贅沢さに違和感を感じさせていたのかな。 GBAがNDSに替わっただけで、つくりは相当変わってくるんだ。 証拠品にビデオは登場するし(つまりムービーが入っている)、キャラのアニメパターンも若干増えている感じがする。 ほんのちょっと画素が増えただけなのに、今までよりもより可愛らしいキャラが描けるようになった。(デフォルメを避けた絵も描ける) 自分が今まで好きだったものが変わるだけで、それがどう変わったのか関係なく、違和感を覚えちゃうのかもしれない。 最後までプレイすると、この辺の違和感は完全にねじ伏せられちゃうけどね。 そこはさすがに「逆転裁判」。 持ってる力が違う。 「過ぎたるは尚及ばざるが如し」というのはちょっと失礼だろう、と今は思い直している。 及ばないぐらいなら、過ぎていた方がいい。 「逆転裁判」に関してはそういって良いんじゃないか。 「逆転裁判」がこれからも続いていく限り、こういう違和感を持つかもしれないな。 でも、きっと「逆転裁判」はそれをねじ伏せていくだろう、とも確信できるのである。 |