私には気に入らないことがある。 なぜ自分の考えていることを子供に被せなければ表現することが出来ないのか? 私はたいへん憤慨しているのだ。 もっとも、それはいつものことであって、特にどのゲームが、というわけではない。 特別『ファントムクラッシュ』が悪いというわけではないのだが、ちょっと引き合いに出してみたい。 この作品の中には未成年(それもローティーン)が何人か出てくるのだが、それなりに苦悩しているわけである。 苦悩の内容はノーテンキなものから重いものまである。(もちろん苦悩してない人もいる) ものすごく断片的で、かつ絶対量が少ないので、ストーリーとして把握することは難しいが、私はこのキャラクターたちが大好きになった。 しかし、私が気に入らないのは、その苦悩を書いたのは大人でしょ?という話なのである。 だって、真っ当なゲームメーカーに勤めている人であれば、少なくとも専門学校を卒業しているはずだから20歳以上だろう。 ゲームデザインを統括している人に至っては、かなり年配のはずである。 ゲームの中の言葉は、紛れもなく君たちの言葉なんじゃないの?と私は思うのだ。 自分の中に全くない言葉は表現できない。 それを表現する段になって、自分とはかけ離れた子供を使うっていうのは一体どういう事なのか。 何故自分と同じ年代のキャラクターに思いを託すことが出来ないのか?と私なんかは思うのである。 この『ファントムクラッシュ』の中にも大人は出てくるが、極めてステロな描き方しか出来ていない。 なんで悟ったような大人とか、年に似合わないヤンチャな大人像しか描けないのか? ゲームの中で子供たちが苦悩している様に、大人だって苦悩してイイじゃない。 実際苦悩してるじゃないか。 それを隠す必要なんかない。 もちろんそれは『ファントムクラッシュ』だけの話じゃなくて、その他のゲームでも、アニメでも、映画でもみんな同じ事だ。 でも、本当はおかしいよね。 だって、考えるということは知識と知識を結合させることだから。 知識を蓄えられていない人間には、問題が何なのかを考えることすら出来ないのだ。 自分を知りたい、世界を知りたい、自分を変えたい、世界を救いたいと藻掻き苦しむ事にも、やはり幾ばくかの年月を経る必要がある。 だから、私は憤慨するのである、子供キャラを使って表現しようとすることに。 そんなのはむしろ卑怯だ。 私は言いたいのである。 恐れずに描けと。 それは恥ずかしいことでも何でもないのだと。 <追加> これを書きあげる前に『キングダムハーツ ファイナルミックス』をプレイし始めたところ、いきなりすごい言葉に出会った。 開始して一時間もたたない段階で、魔導師みたいなローブをかぶった男が主人公に言うのである。 「おまえ達には何もわかりはしない。なぜならば、おまえ達は何も知らないからだ。」みたいなことを。(せりふはいい加減な記憶) 開始早々この言葉が出てくるということは、ゲームの中でこれを覆してやる、ということだろう。 いったいどういうロジックでこれを覆そうというのか? なんだか思いがけず挑戦を受ける羽目になったなあ、という気がしている。 |