『俺の屍を越えてゆけ』って名前は印象に残っているけど、プレイしたいと思った記憶はないな。 PS1当時は知識として知っておく必要があるから、ある程度はPS用のゲームもプレイしたものの、プレイする必要があるほど目立った作品だとは思わなかった。 あの頃は新作が嘘みたいにたくさん発売されてたからね。 しかし、全然新作ゲームが開発されない今となっては、『俺の屍を越えてゆけ2』はどうしても目に付いちゃう作品ではあった。 あんまりやりたくはなかったんだけど。 メンド臭いゲームだって噂は聞いてたから。 それでもやらなきゃと思ったのは、あまりにもが酷いレビューが多かったからである。 なんか知らんけど、文章から憎しみが感じられる。 PSが憎いとか、スクウェアが憎い、とかならまだ理解できるが、たかだか一本のゲームがこんなに憎しみを生むって事があるんだろうか? プレイしなきゃいいだけなのに。 人間をこんなにも醜くするゲームって一体どんなもんなのか、私は知りたかったのだ。 そう思って私が『俺の屍を越えてゆけ2』をプレイし始めたのは3ヶ月ほど前のことだった。 最初はこーちん(執事的な役割を担うイタチの化身?)の言うとおりにプレイしていたら、全然面白くなかった。 面白くないから、プレイも全然進まない。 ねうねう亭ってところで進む方向を勘違いしてて、5世代ぐらい無駄死にさせているうちにやっとゲームの理解が進んで面白く感じられるようになった。 終わってみたら、結構面白かったよ。 キャラのパラメーターじゃなくて、遺伝子を伸ばすってのがなかなか目新しい。(知らなかった私にとっては) プラス、引き継げる武器・技、あるいは町の発展で下駄を履かせて、パラメーターをインフレさせずにバランスを取ってるあたりも上手い感じ。 もしかしてだけど、もしかしてだけど、これってすごくよく出来たゲームなんじゃないの? 確かにストーリーはどうでもいいような話だ。 自分の一族には関係ない。 余計なことを語るよりは、「理不尽な神様に短命の呪いをかけられた!あいつをやっつけに行くぞ!」だけで良かったのかもしれん。 まあでも、どうでもいい話なんだから、ないと思えばいいじゃない。 確かにあの女は必要ない。 マルチタイプで、一撃必殺の技がないから、肝心のボス戦であんまり役に立たなかった。 自分が創ったキャラじゃないって事は、前作に比べてプレイヤーは寄与を奪われているとも言えるわけで、そこに憤るのはもっともな話だ。 でも、奪われた寄与分は4分の1なんだから、憤りも4分の1が適正なんじゃないのかな。 交神(神様と子作り)する神様への思い入れは、そもそもよく分からない。 あいつらほとんど喋らないじゃん。 あんなんで思い入れを持てるのかな? そもそも思い入れが発生していないから、あれがダメだって理屈がよく分からない。 なんだか酷く気の毒な感じ。 前作から相対的に減点評価だけされてるんだろうね。 絵が綺麗になるとか、声優が豪華になるとか、ムービーが入るとかっていうのは、全てプレイヤーから寄与を奪う方向に働くので、我こそはゲーマー也って人になればなるほどプラス評価しないってのは、まあ分かるっちゃ分かるんだが・・・。 はじめてやった人は気付かないってこともあるんじゃないのかなあ。 十数万本も売れて、大半が前作経験者ってこともないだろうに。 ゲームが全然足りない今となっては、まずまず遊べる作品として見直されてもいいんじゃないかと私は思うな。 |