OPUS-地球計画、NS版

広すぎる宇宙に夢を抱くには 2018_01_16

 

宇宙人が存在するか?と問われれば、もちろん私は存在すると答える。
生命が誕生する確率は小さいけれども、人間のスケールからすれば無限と言えるほどに広い宇宙のどこかには地球と似たような環境も存在するだろう。
しかし、地球に宇宙人が到達しているか?と問われれば、私は確信を持って、到達してないと答える。
人間が観測できる範囲外から地球に知的生命体が到達できるとは思えない。
もちろんワープのようなオーバーテクロノジーは認めないという前提だが。

だって、そんなに長生きできないもの。
人間のような知的生命体に進化するには、おそらく頻繁な代替わりが必要だろう。
大腸菌みたいに細胞分裂を繰り返しても自然死しないような生物では知的生命体に進化できない。
人間のような知的生命体が存在するとすれば、やはり寿命はあるはず。

仮にコールドスリープのような技術が確立されているとしても、やはり地球に行こうとは思わないだろう。
だって、自分だけ浦島太郎になっちゃうんだよ。
自分の星に戻ってこられたとしても、その時にはもう知っている人は誰もいない。
それどころか、その星の人類が生き残っている保障すらない。
そんな冒険に出られるわけがないと私は思うのである。

これは逆から考えても同じ。
人間が宇宙に出られるか、と考えても。
人間には無理なんだよ。
宇宙に夢を抱くには人間の寿命は短すぎる。

可能性があるとすれば、アンドロイドとか人工知能なのかもしれない。
やはり寿命がないことが必要。
そして、もっと大切なのは心が老成しない事だ。
私自身の事を考えてみても、自分の死期を思うと、もう何も出来なくなっちゃうからね。
死ぬ恐れがなく、初々しい心でただひたすら目標に向かって突き進んでいく。
もし仮に、宇宙に何らかの夢を抱きつつも志半ばで倒れることになったとしても、そういう存在を後に残していけたら、少しは希望を持って逝けるのかもね。

『OPUS-地球計画』に感動してしまうのは、そういうことなのかな。
ただ地球に似た星を探すだけのゲームに感動してしまう理由を私は考えざるを得なかった。
博士は希望を残したんだよ。


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