グランツーリスモ5 プロローグ_2

近づきこそすれ超えるつもりはない 2008_01_24

 

私は睡眠時間を意図的に短くしている。
遊ぶ時間が足りないのである。
そのせいか、間延びしているゲームをやるとどうにも眠くなる。
喜びが次から次へと押し寄せてこないと、ゲームしながら寝てしまうのだ。
『グランツーリスモ5 プロローグ』はどうも眠いな。
この眠さは間延びしていることの証拠ではないかと思い、その原因を私は考えていた。

大体からして、コースの一周が長すぎなんじゃないか、と思う。
一周3分とか駄目だよな。
眠すぎ。
ヘッタピであればあるほど減速しないと曲がれないから、ゲームのないストレートを抜けるのに時間がかかる。
現実のコースを取り入れているからやむを得ないんだろうが、ゲームとして考えたときにはもっと喜び密度を上げてやる必要があるんじゃないか。

だって、実際に車を運転する行為をコントローラーで操作することに置き換える段階で負荷が小さくなっているわけだから、それを乗り越えることで得られる喜びは現実より小さくなるはずである、単純に考えれば。
単位時間あたりの喜び量は単純には(得られる喜び量/プレイタイム)で考えればいい。
単位時間あたりの喜びが減るなら、分子を大きくするか、分母を小さくしなきゃ駄目だよな。

分子を大きくするとすれば、派手なエフェクトをいれるとか、あり得ないドリフトを可能にするとか考えるだろう。
一方、分母を小さくするとすれば、コースの尺を縮めるとか、あるいは加速性能を上げるとかするだろう。
ところが、「グランツーリスモ」はそういうシリーズじゃないから、分母も分子もいじれない。
リアルを志向する性質上、これは如何ともし難いんだ。

基本的に、実車で走ることが凄く楽しい、普段走れないレーシングコースで走れたら尚更楽しい、という思いがあって、そこに近づきこそすれ超えるつもりはない。
そういうコンセプトなんだろうな。
ゲームを考える立場からすると私は酷くつまらないことのように感じるけどね。
面白くするために多少現実から離れても良いんじゃないかと思うのだが、鈴鹿サーキットの尺なんか変えたらファンは怒るんだろうな、きっと。
そういう人達に愛されているゲームなんだから、そもそも私がプレイすることが間違ってるんだ。
眠くても当たり前。


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