オペレーターズサイド_2

あの喜びをもう一度 2003_11_28

 

『オペレーターズサイド』をプレイして、思わず、「これ、同じじゃん」とつぶやいた。
何と同じなのかというと、昔のコマンド入力型アドベンチャーゲームと同じだと思ったのである。
だって、「コップを調べろ」と音声入力するのと、「 > シラベル コップ」とコマンド入力するのって同じでしょ。
これは懐かしい喜びだったな。
自分のやることを言葉に変換することがゲームなのである。
つまりそれは手段自体をゲームにする、ということになるだろう。

ところが、私はプレイを進めていくうち、同じだけど少し違うな、とも感じ始めていた。
どうしてかというと、『オペレーターズサイド』におけるゲーム性の大半は名詞を当てることであって、動詞を当てることではなかったからである。

きっと昔のコマンド入力型アドベンチャーゲームのことを知っている人はほとんどいないだろうから、少しだけ説明しておく。
コマンド入力型アドベンチャーゲームにおいては、名詞は明示されるのが普通だった。

たとえば

> ミル

と入力すると

>> メノマエニ『スコップ』ガアリマス

と表示される。
また

> モチモノ

と入力すると

>> ジョーロ マッチ イシ タネ

などと表示される。
つまり、私たちが考えなければならなかったのは、何をどう使うか?ということである。
名詞はわかっている状態で、それを「どう使うか?」をイメージし、それを言葉に置き換える。
このケースだったら、「スコップで穴を掘って、種を植えて、水を蒔いたら、何か起こるかな?」をコマンドに変換するのだ。
それが私たちのゲームだった。

『オペレーターズサイド』では動詞は非常に限られていて、むしろ名詞を当てることがメインになっている。
「マグカップ」という言葉が出てこなくて、凄くイライラしたことがあった。
名詞を当てるのも面白いけど、それは脳みそを揺さぶらない。
やはり自分のすることをイメージしないと。(このゲームの中で働くのはリオだけど)

確かに「コマンド入力型」は、一度は見捨てられた形式だ。
「選択肢型」に取って代わられた。
だけど、今ならひょっとして復活できるんじゃないかと、この『オペレーターズサイド』をプレイしながら私は感じていた。
たとえばこんなケースがある。

リオに「そっちへ行っていい?」と聞かれて、なんと答えるのか?
「いいよ」
「もちろん」
「オーケー」
とか、人によって思い浮かぶ言葉はいろいろあるはずだが、それをかなりたくさん認識できている。
ということは、プレイヤーがなんと答えるのか、あり得るパターンをすべてつぶしておいたということだろう。
今はそれが出来るのである。

昔はゲーム作りが極めて個人的であったりとか、メモリが少なかったりで、プレイヤーの発想に対応しきれなかった。
極端なケースではプログラマーひとりでゲームの全てを創っていたし、私が初めて使ったFM-7のメインメモリなんかは32Kbyteだったのだ。
今のゲーム開発規模やメモリの大きさを考えたら、プレイヤーがどんなイメージを持ち、どんな言葉に置き換えるのかを、相当数洗い出せるんじゃないか。
単に名詞を当てるんじゃなくて、その物を使って何をするの?というところまでもっていけたら、ゲームはもっと面白くなる。
コマンド入力型は選択肢型なんかよりずっと面白い、私の経験で言えば。
もちろん、プレイヤーが思うコマンドと創り手が思うコマンドが一致しさえすれば、という条件付きであるにせよ。

『オペレーターズサイド』では、音声で入力するということ自体もまたゲームなんだけど、おそらくそれはいつまでも続きはしない。
そのうち当たり前になるだろう。
キーボードを使わなくていい、というメリットだけが残る。(効果としては、前に書いたように、主人公とプレイヤーを同一にするというメリットもあるが)
その後に来るのは、プレイヤーに何をするのかをイメージさせるゲームであるべきなんじゃないかと、私は思うな。

あの喜びをもう一度。
今なら出来るんじゃないの?



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