このオッチャン、何モンやねん!、という気持ちは常にあった。 「このオッチャン」というのはつまり、広井王子氏のことである。 だって、この人が面白いゲーム創ったの、見たことない。 SSの『天外魔境第四の黙示録』はまあまあ程度の作品だったし、DCの『北へ』がそんなに面白かったとは思えない。 「サクラ大戦」は潤沢な資金を用意してもらってプロデュースしただけ、といった雰囲気で、そこからわかることは「芸能界に顔が広いらしい」ということだけである。 にもかかわらず、このオッチャンにゲームを創らせようとする者が後を絶たないのは、いったいどういうワケなのか? そのワケを確かめるためには、この人の出世作とでもいうべき『天外魔境2』をプレイするしかないだろう。 GC版が発売されたのは非常に良い機会だった。 是非これをやっていきたい。 ただし、これをプレイするためには「自分を11年前に戻す」という作業を行う必要があった。 ゲームというのはどんどん劣化していくものだから。 まあ、11年前の水準を思い出すことは、そんなに難しいことじゃない。 例えば、MCDの『LUNAR THE SILVER STAR』をプレイしていた自分を思い出してみればいいだろう。 実際プレイしてみると、この『天外魔境2』という作品はなるほどすごい作品だった。 アニメーションとか音声とかのレベルで考えても、当時の水準としては間違いなく頭一つ出ている印象だ。 それ以上に、うまい構成だな、と思うところが多かった。 一番うまいなと思ったのは、フィールドを国で区切った点だ。 国で区切ることで行動範囲を限定する。 今時のゲームと違って、昔のゲームは次に何をするか自分で探さないといけないので、広すぎるのは良くないのだ。 久々に村人に話を聞きながら謎解きしていく喜びを味わうことが出来た。 昔のRPGにおける普通の村人って本当に重要だったな。 加えて面白いことに、国や地域を区切ることで、移動手段を獲得するイベントを何回でも織り込める。 船を獲得するイベントを場所を変えて何回でも起こすことが出来るのである。 プレイタイムの半分くらいは移動手段を確保することに使われていたような気がするのだが、全く違和感なくプレイを進めることが出来たのだ。 イベントなんかも、日本書紀などをベースにしてあるようで、巧いこと組み込んだな、と感心させられた。 テキストも小洒落てる。 ホントに「うまいね」と何回も思ったな。 戦闘パートは今の感覚でいうと、とても正気とは思えないけど。 なんの芸もないのにエンカウント率高すぎ。 おそらくイベントでの喜び量を大きく見積もっているので、戦闘は純粋な時間的負荷でイイ、という判断があったんだろう。 11年前なら平気だったかもしれない。 総じて見ると、『天外魔境2』という作品は広井王子という人物を今日の地位に就かせしめるだけの力があったんだろうな、と想像はできる。 なるほど、このオッチャンやるな、と見直す思いである。 このゲームをプレイしたことのある人たちは、依然としてこのオッチャンに期待を寄せているのだろう。 しかし、まだ問題は残っている。 いま現在このオッチャンにどれぐらいの力があるんだろうか?という問題である。 これは11年前の話なんだから。 現在制作中の『天外魔境3』は、それを測る物差しになるんじゃないか。 だって私が思うに、『天外魔境2』と『天外魔境第四の黙示録』を線で結んで延長してみても、その先に進化形はないんだから。 要するにイベントを増やして、一つ一つのイベントをデラックスにして、戦闘の負荷を減らすしかないんじゃないか。 システムで遊ばせるゲームだとは思えないし。 いったいどうするつもりなんだろう?、という意地悪な興味が湧いてきた。 それを確かめねばならないのかと思うと、とても憂鬱である。 |