メタルギアソリッド2 〜SONS OF LIBERTY〜

騙されないぜ!  ・・・? 2002_09_28

 

「俺は騙されないぜ!」と思った。
『メタルギアソリッド2 〜SONS OF LIBERTY〜』のストーリーはもの凄く胡散臭かったのである。

というのも、やたらとそれっぽいサイエンス単語が羅列されていて、言ってることが本当なのか判断が付かない。
だいたい「ナノマシン」って連呼するの、おかしくないか?
だって、単なるナノサイズマシンの総称でしょ。
「君にもナノマシンが?」とかいうセリフが違和感満載でしょうがなかった。
つまるところ、私は疑いの眼差しを光らせながら、このゲームをプレイすることになったのである。

疑いの眼差しでこのゲームを見ていくと、結局、単なるミッションクリア型のアクションアドベンチャーゲームなんだよね、という気がしてくる。
で、局所局所のストーリーはミッションを作るための方便であり、それはさらにプレイヤーのモチベーションを高める役目も果たす、と。
こう考えると、しっくり来るのだ。

これはこれで素晴らしいね、と思いながら私はプレイを進めてきた。
だって、アクション部分面白いんだもん。
ミッションをクリアするための解法というのは、たいていの場合、いくつもあるのだ。
見張りを眠らせるも良し、物陰に身を伏せるも良し、エルード(ぶら下がり移動)するもよし。
自分なりのアプローチでクリアしていく。
「潜入する」という行為を見事にゲーム化しているわけだ。
失敗しても直前からコンティニュー出来るので、恐れずに楽しむことが出来るしね。

ところが、エンディング周辺に差しかかって、私は少し考えが変わってきた。
というのは、ムービーが凄く長い。(ムービーを一時停止させる方法が判らなくて、チビリそうだったほど)
むしろ、ムービーの中にゲームが埋まっているという感じになってくるのだ。

私はムービーを見ているうち、これは一つの試みなんだな、という気がしてきた。
映画と従来型のゲームを結合して新しいゲームを創ろう!という。
メディアがDVDになったからムービー入れてみました、というのとはちょっと違う。
これはもうゲームという枠では収まりがつかず、エンターテインメントの枠にまで拡げる必要があるのかもしれないのだが。

それはどういう事かというと、ゲームの地位が映画のようなエンターテインメントと同じところまで引き上げられるかもしれない、ということである。
ゲームはそのポテンシャルよりも遥かに低く社会に評価されている。
これはゲームを高めていくための一つのアプローチなんじゃないか。

そんなアプローチは認めたくないんだけどね、個人的には。
私達が慣れ親しんだゲームの世界が続いて欲しいし、ゲームが社会的に認められることなんか、私は望んでいない。
もし世界中の人が「この世の中にゲームほど素晴らしいモノは他にないんだ」ということに気が付いてしまったら、私はゲームをやめなければならなくなるだろう。
大変困った事態になるのである。

しかし、このアプローチはやっぱり凄いことなんだ、ということも認めなければならない。
とても気が進まないんだけど。



<余談>
随分前に買ったのですが、ようやく終わりました。
操作を覚えるのが面倒で投げてたんだけど。
やってみたら、あっという間でした。


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