「俺は騙されないぜ!」と思った。 『メタルギアソリッド2 〜SONS OF LIBERTY〜』のストーリーはもの凄く胡散臭かったのである。 というのも、やたらとそれっぽいサイエンス単語が羅列されていて、言ってることが本当なのか判断が付かない。 だいたい「ナノマシン」って連呼するの、おかしくないか? だって、単なるナノサイズマシンの総称でしょ。 「君にもナノマシンが?」とかいうセリフが違和感満載でしょうがなかった。 つまるところ、私は疑いの眼差しを光らせながら、このゲームをプレイすることになったのである。 疑いの眼差しでこのゲームを見ていくと、結局、単なるミッションクリア型のアクションアドベンチャーゲームなんだよね、という気がしてくる。 で、局所局所のストーリーはミッションを作るための方便であり、それはさらにプレイヤーのモチベーションを高める役目も果たす、と。 こう考えると、しっくり来るのだ。 これはこれで素晴らしいね、と思いながら私はプレイを進めてきた。 だって、アクション部分面白いんだもん。 ミッションをクリアするための解法というのは、たいていの場合、いくつもあるのだ。 見張りを眠らせるも良し、物陰に身を伏せるも良し、エルード(ぶら下がり移動)するもよし。 自分なりのアプローチでクリアしていく。 「潜入する」という行為を見事にゲーム化しているわけだ。 失敗しても直前からコンティニュー出来るので、恐れずに楽しむことが出来るしね。 ところが、エンディング周辺に差しかかって、私は少し考えが変わってきた。 というのは、ムービーが凄く長い。(ムービーを一時停止させる方法が判らなくて、チビリそうだったほど) むしろ、ムービーの中にゲームが埋まっているという感じになってくるのだ。 私はムービーを見ているうち、これは一つの試みなんだな、という気がしてきた。 映画と従来型のゲームを結合して新しいゲームを創ろう!という。 メディアがDVDになったからムービー入れてみました、というのとはちょっと違う。 これはもうゲームという枠では収まりがつかず、エンターテインメントの枠にまで拡げる必要があるのかもしれないのだが。 それはどういう事かというと、ゲームの地位が映画のようなエンターテインメントと同じところまで引き上げられるかもしれない、ということである。 ゲームはそのポテンシャルよりも遥かに低く社会に評価されている。 これはゲームを高めていくための一つのアプローチなんじゃないか。 そんなアプローチは認めたくないんだけどね、個人的には。 私達が慣れ親しんだゲームの世界が続いて欲しいし、ゲームが社会的に認められることなんか、私は望んでいない。 もし世界中の人が「この世の中にゲームほど素晴らしいモノは他にないんだ」ということに気が付いてしまったら、私はゲームをやめなければならなくなるだろう。 大変困った事態になるのである。 しかし、このアプローチはやっぱり凄いことなんだ、ということも認めなければならない。 とても気が進まないんだけど。 <余談> 随分前に買ったのですが、ようやく終わりました。 操作を覚えるのが面倒で投げてたんだけど。 やってみたら、あっという間でした。 |