今さら人には聞けない大人の常識力トレーニングDS_2

出題をコントロールする 2007_01_26

 

一時期あまりやらなかった『常識力トレーニングDS』なんだけど、年末ぐらいからまた寝る前にやり始めた。
出席のハンコを見ると、また熱が入ってきたのが非常によくわかる。

で、随分ハンコも増えてきたし、相当問題もこなしてきたはずだな、と思ったわけである。
ところが、数字を確認してみてビックリ。
いままで覚えた常識の数はまだ600弱に過ぎなかった。
自分の感覚としてはもっとやってるつもりだったのに。
「もっとやってるつもり」なのに、実際はやってない、ということは、そこに何かカラクリがあるはずである。

通常クイズゲームなんかだと、既出問題が再び出題される事がゲームの体裁を整える効果を持つ。
だって、クイズを解くのに段々上手くなっていくとかは無いんだから。
問題の答えを覚えることで、プレイヤーは結果として正解率を上げたり、ライバルに勝ったりするのである。
当然、はじめは全部新規な問題ばかりだが、プレイを進めていけば徐々に新規な問題は減っていく。

新規な問題が減っていく、ということは新規な情報に触れる喜も当然減っていく。
つまり面白く無くなってくるはずである。
そこいら辺はゲームをクリアするという目的意識でカバーしているんだろう。

ところが、この『常識力トレーニングDS』は特別何かと競い合っているわけではないから、新規な情報に接する喜びは保証してやる必要がある。
つまり遊び手がプレイし続けていっても、常に新しい情報を提供し続けなければならない。
そう考えれば、新規な問題を終盤になっても一定の割合で入れていく、というぐらいのことは思いついてしかるべきところである。

ただ、収録される問題数には限度がある。
だから、序盤のうちのから積極的に混ぜていくんだな、既習問題を。
そうすると、新しい問題の消費を抑えつつ、プレイし始めからずっと一定の喜びをプレイヤーに提供することが出来るんだ。
これはなかなか勇気が要る決断に違いない。
序盤にプレイヤーが感じる喜びを敢えて抑えることになるんだから。

これを可能にするのは、毎日少しずつやる、というコンセプトだったろうな。
人間は忘れる生き物だから。
忘れちゃえば、また情報の価値は復活する。
私はもっとたくさん問題をやったつもりだったけど、実は同じ問題をやっていただけだったのである。

プレイし始めてから3ヶ月も経って、今さらながら良くできていると思い知らされた。
この調子なら、毎日やってる人でも半年は楽しめるはずである。
なるほど、ミリオンセラーを達成して、なお売れ続けるわけだ。
ただ単にブームを捉えるだけじゃなくて、コンセプトと内容が合致して、初めてイイものが出来るんだなと感心させられた。


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