一時期あまりやらなかった『常識力トレーニングDS』なんだけど、年末ぐらいからまた寝る前にやり始めた。 出席のハンコを見ると、また熱が入ってきたのが非常によくわかる。 で、随分ハンコも増えてきたし、相当問題もこなしてきたはずだな、と思ったわけである。 ところが、数字を確認してみてビックリ。 いままで覚えた常識の数はまだ600弱に過ぎなかった。 自分の感覚としてはもっとやってるつもりだったのに。 「もっとやってるつもり」なのに、実際はやってない、ということは、そこに何かカラクリがあるはずである。 通常クイズゲームなんかだと、既出問題が再び出題される事がゲームの体裁を整える効果を持つ。 だって、クイズを解くのに段々上手くなっていくとかは無いんだから。 問題の答えを覚えることで、プレイヤーは結果として正解率を上げたり、ライバルに勝ったりするのである。 当然、はじめは全部新規な問題ばかりだが、プレイを進めていけば徐々に新規な問題は減っていく。 新規な問題が減っていく、ということは新規な情報に触れる喜も当然減っていく。 つまり面白く無くなってくるはずである。 そこいら辺はゲームをクリアするという目的意識でカバーしているんだろう。 ところが、この『常識力トレーニングDS』は特別何かと競い合っているわけではないから、新規な情報に接する喜びは保証してやる必要がある。 つまり遊び手がプレイし続けていっても、常に新しい情報を提供し続けなければならない。 そう考えれば、新規な問題を終盤になっても一定の割合で入れていく、というぐらいのことは思いついてしかるべきところである。 ただ、収録される問題数には限度がある。 だから、序盤のうちのから積極的に混ぜていくんだな、既習問題を。 そうすると、新しい問題の消費を抑えつつ、プレイし始めからずっと一定の喜びをプレイヤーに提供することが出来るんだ。 これはなかなか勇気が要る決断に違いない。 序盤にプレイヤーが感じる喜びを敢えて抑えることになるんだから。 これを可能にするのは、毎日少しずつやる、というコンセプトだったろうな。 人間は忘れる生き物だから。 忘れちゃえば、また情報の価値は復活する。 私はもっとたくさん問題をやったつもりだったけど、実は同じ問題をやっていただけだったのである。 プレイし始めてから3ヶ月も経って、今さらながら良くできていると思い知らされた。 この調子なら、毎日やってる人でも半年は楽しめるはずである。 なるほど、ミリオンセラーを達成して、なお売れ続けるわけだ。 ただ単にブームを捉えるだけじゃなくて、コンセプトと内容が合致して、初めてイイものが出来るんだなと感心させられた。 |