パタポン3_2

パタポン、ではない 2011_05_17

 

未開の部族が民族楽器を奏でながら歌い踊る。
踊っているうちにトランス状態になっていって、神と会話出来るようになる。
私が考えるパタポン的風景というのはそういうものだった。
プレイヤー=パタポン、ではない。
あくまでプレイヤーは神だし、トランス状態になるにはたくさんのパタポンが必要だろう。
一種の集団催眠だからな。
「パタポン」がパタポンであるためには、そういう風景が重要な気がしてならない。

今回の『パタポン3』、評判あんまり良くないよね、ネット上を調べてみると。
PSPが絶好調ということもあって、たくさん売れたから平均的な評価が下がった部分もあるだろう。
しかし、それだけじゃない。
ちょっと悪すぎる。
私がプレイしてみた感触としては、そんなに悪くはないはず。
たぶん、感情的な部分で受け入れられないのではないか。

今回、たった四人で隊列を組む。
そのことはゲームとしてはそれほど大きな意味を持つわけではない。
1人が4人分のパラメーターを背負っているだけのことである。
しかし、ワラワラとパタポンが踊りながら進んでくれないと、「パタポン」だって感じはしないんだよね。
同じアホなら踊らにゃ損損、といっても、人が沢山いないとトランス状態になるほど踊れないでしょ。
なんで数を減らしたのかよくわからない。
ヒーローパタポンを増やすと処理落ちするのか、通信遅延の問題なのか。
何か理由はあるんだろうけど。

おまけにストーリーが理屈っぽいんだ。
一応変な台詞は喋るんだけど、やってることにはいちいち理屈がついているのである。
たぶん、「パタポン」ってそういうもんじゃないんだよね。
目が一つのデフォルメキャラなんだからな。
そんな難しいこと考えちゃダメだよ。
言うなら精々メデンに言わせるしかないけど、メデンは石になってるし。

やっぱりマルチプレイを前提にゲームが創られているからなのかな。
ヒーローパタポン=プレイヤーみたいな感じになってる。
パタポンじゃなくて、ヒーローパタポンの物語なんだよ。
これを「パタポン」だっていうから、反抗したくなる。
『3』じゃなくて、外伝とかマルチプレイ版とかにしとけば、そんなに抵抗はなかったんじゃないか。
私はそんなに悪くないと思うんだけどなあ。


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