未開の部族が民族楽器を奏でながら歌い踊る。 踊っているうちにトランス状態になっていって、神と会話出来るようになる。 私が考えるパタポン的風景というのはそういうものだった。 プレイヤー=パタポン、ではない。 あくまでプレイヤーは神だし、トランス状態になるにはたくさんのパタポンが必要だろう。 一種の集団催眠だからな。 「パタポン」がパタポンであるためには、そういう風景が重要な気がしてならない。 今回の『パタポン3』、評判あんまり良くないよね、ネット上を調べてみると。 PSPが絶好調ということもあって、たくさん売れたから平均的な評価が下がった部分もあるだろう。 しかし、それだけじゃない。 ちょっと悪すぎる。 私がプレイしてみた感触としては、そんなに悪くはないはず。 たぶん、感情的な部分で受け入れられないのではないか。 今回、たった四人で隊列を組む。 そのことはゲームとしてはそれほど大きな意味を持つわけではない。 1人が4人分のパラメーターを背負っているだけのことである。 しかし、ワラワラとパタポンが踊りながら進んでくれないと、「パタポン」だって感じはしないんだよね。 同じアホなら踊らにゃ損損、といっても、人が沢山いないとトランス状態になるほど踊れないでしょ。 なんで数を減らしたのかよくわからない。 ヒーローパタポンを増やすと処理落ちするのか、通信遅延の問題なのか。 何か理由はあるんだろうけど。 おまけにストーリーが理屈っぽいんだ。 一応変な台詞は喋るんだけど、やってることにはいちいち理屈がついているのである。 たぶん、「パタポン」ってそういうもんじゃないんだよね。 目が一つのデフォルメキャラなんだからな。 そんな難しいこと考えちゃダメだよ。 言うなら精々メデンに言わせるしかないけど、メデンは石になってるし。 やっぱりマルチプレイを前提にゲームが創られているからなのかな。 ヒーローパタポン=プレイヤーみたいな感じになってる。 パタポンじゃなくて、ヒーローパタポンの物語なんだよ。 これを「パタポン」だっていうから、反抗したくなる。 『3』じゃなくて、外伝とかマルチプレイ版とかにしとけば、そんなに抵抗はなかったんじゃないか。 私はそんなに悪くないと思うんだけどなあ。 |