『真流行り神2』の第一話の途中でゲームオーバーになった。 自分がコートの女になっちゃうヤツ。 このゲーム、選択肢を間違えると、いきなりゲームオーバーになるんだよね。 なっても、フローチャートのどこからでも再開できるから、特に不都合はない。 むしろプレイヤーが喜ぶであろうと考えて、ふざけたものやあり得ないエンディングを入れているようだ。 しかし、実は全然嬉しくなかった。 私が経験した数少ないバッドエンドは、ぞんざいな一枚絵がホントに一枚出てくるだけで、お話も唐突に終わるものばかりだったのである。 なんだか割に合わないと思った。 スタート画面から戻ってこなければならないからね。 エンディングを回収するのは簡単なんだけど、それでもやりたい気持ちにはなれなかった。 データベースは一通り読んだよ。 つまりエンディングを回収することが、少なくともデータベースを読むよりは無意味に感じられたということである。 だって、派手さもなければ、テキストにwitが感じられるわけでもなく、データベースみたいに知識欲を刺激されることもないんだから。 こういうゲームを見ちゃうと、昔はよかったなあと思わざるを得ない。 『かまいたちの夜2』とか、いかにもお金かかってそうだったじゃん。 つまらないエンディングにもいちいちムービーが用意されてたりしてね。 一応全部見なきゃいけない気持ちになったもんだよ。 あれは売れる見込みがあるから出来るんだな。 売れるかどうかは分からないが、たくさん売るつもりで創ったゲームも豪華だった。 『街』とか『428』なんかはやっぱりバッドエンドも追いかけたよな。 やらなきゃ気が済まなかった。 時代違うと言えば違うんだが。 安価な娯楽、時短された娯楽に溢れた現代に生きる我々の求める水準が高くなってるという側面はあるだろう。 にもかかわらず、ゲームは昔ほど売れないから、必然的に手間は掛けられなくなる。 バッドエンドなんてのは全員が見るわけじゃないから、ますますそんなところには力を注げなくなるのも無理のない話ではある。 逆転裁判あたりでもバッドエンドなんか無いもんな。 あらゆる意味において余裕のない時代になったって事なんだろう。 もっとも、一番余裕を失っているのは、誰でもない私なんだが。 |