ダーククロニクル_2

妨げにはならない 2003_07_08

 

『ダーククロニクル』、これは面白かった。
終わったのはずいぶん前なのだが、書きたいと思いつつ書いてこれなかったことがあるので、今更ではあるが書き残しておきたい。
このゲームをプレイしながら私が感じていたことは、「物語が子供じみていても、それはゲームを楽しむことの何の妨げにもならない」ということ。

『ダーククロニクル』っていう作品は、もの凄くいい着眼で出来ている。
未来をあるべき姿に戻すために、今現在に種をまいておくのだ。
(この点がまず凄い。私だったらアドベンチャー仕立てしか思いつかない)
たとえば、未来のある場所に武器屋が必要だったら、今現在のある場所に武器商人を住まわせておく。
そうすると、それが未来の武器屋へと発展していく、という理屈である。(これはこういうシステムだから、ケチを付けてはならない)
その為には住まわすべき家が必要だったりするわけで、ダンジョンで経験値を稼ぐことを、ただそれだけに留まらせず、街造りと組み合わせて提示してみせた。
この辺の組み合わせの妙が、特別贅沢に創られたわけでもないこのゲームを素晴らしい作品へと昇華させたのだ、と私は思う。

ところが。
このゲームは演出の仕方が凄く子供っぽい。
主人公が13歳の男の子と15歳の女の子なんだけど、たぶんそのあたりをターゲットにしているのだろう。
おまけに、展開が凄く唐突。
これは戦闘パートとシナリオパートが完全に分離しているせいだと思うのだけど。
悪役が、死んだ母のことを思い出して、突然改心したりするのだ。
これがまたクサい。
「何じゃ、こりゃ!?」と思いながらプレイしてきた。

問題はここからである。
「何じゃ、こりゃ!?」と思いながらプレイしてきたが、そのことはこのゲームを楽しむ上で何の妨げにもならなかった。
だってこのゲームは、システムを楽しむゲームなんだから。
とりあえずゲームの中で動機付けが出来ていれば、不都合はないのである。(FFとかだったら話は当然変わるけど)

逆に凄くイヤだったのは、街が広いこと。
世界でただ一つ残った街という設定だからかもしれないが、やたらと広い。
誰も住んでいない(少なくとも登場人物が住んでいない)家がいっぱい並んでいるのだ。
で、ときどき「○○を連れてこい」とゲーム中で言われるのだが、探すのがイヤ。
時間が勿体ないねん!

またここで「ところが」と書かなければならないのだが、時間が勿体ないねん!といいつつ、私は何時間もダンジョンで戦い続けた。
街の中を10分歩くのは我慢できないけど、ダンジョンの中で武器を成長させる為ならば、何時間かかっても惜しくない。
つまりそれは、その行為自体が楽しいからだ。

ここまで書いてきても私が何を言いたいのか、読んでいる人には判らないかもしれない。
私はこのところずっと自分が大人になってしまった、ということを感じていた。
しかし、このゲームをプレイして判ったことは、子供をターゲットにしてゲームが創られたからといって、それが即大人が楽しめないというわけではない、ということである。
システム部分が面白ければ、その面白さに対しては大人であれ子供であれいくら時間を使ってもいい。
逆に、喜びと直接つながっていない時間を許せるかどうかは、その人の置かれている状況によって変わる。
私なんかは一秒だって許すことが出来ないのである。

おそらくこれからのゲームに求められるのは、「面白くない部分は削る」ということ。
つまんないミニゲームなんかいらないんですよ。
子供がゲームしないご時世だし、何とか大人にも遊んでもらえるように創っておく必要があるだろう。
その為には、ゲームを各要素ごとに分解して、それが面白いのか?という問いかけを創り手自身がしていかなければならない。
それが面白いのならば、ドーンと負荷をかけても許されるだろうし、そうでないなら、極力負荷は小さくしなければならない。
そこんとこがしっかり出来ていれば、たとえ子供向けに創られたゲームだって私たちは楽しむことが出来るはず。

もちろんそれはトレードオフなのだ。
尺が縮むと、その分仕事が増える。
面白い要素だけで量を増やさないといけないからね。
つまりそれは、創り手の皆さんには当然血反吐の一つも吐いてもらうより他にない、という事を指し示している。
大変お気の毒な話なのだが、もし私が望むものを創ってくれるならば、私もまた血反吐の一つも吐いてプレイし続けましょう、とお約束することは出来るのである。



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