経済学の世界には、「限界効用逓減の法則」というものがあるそうだ。 「限界」という言葉は「微分の」とか「一単位あたりの」という意味を指し、「効用」というのは「満足度」のことを指すらしい。 つまり、同じものを手に入れたとき、1個目よりも2個目、2個目よりも3個目の方が満足度が小さい、という法則なのだ。 私はこの言葉を就職試験のための勉強中に覚えたのだが、この法則はスゴイぜ!と思った。 現実の社会は、本当にこの法則に従っていたのである。 例えば、この激暑い今日この頃、仕事帰りにビールでもひっかけていくとする。 その1杯目の旨いことったらないだろう。 飲み干して思わず「あぁぁ〜」とか言わずにはおれまい。 2杯目だって旨いことは旨いが、やはり1杯目にはかなわない。 ましてや、5杯目あたりになれば、もうなにビールなんだかわかりゃしないし、10杯目あたりにはビールを飲んでいることすら分からなくなっているだろう。 つまり、一杯あたりの満足度は飲むごとに少なくなっている。 まさに「限界効用逓減の法則」そのままなのだ。 およそ世間の事象はこれに従っているのである。 ところが!、私は見つけたのである、この法則に従わないものを。 それは、なにあろう我らがゲームである。 私はもう本当にやめたかった、『CRAZY TAXI2』を。 スコアを伸ばすことにさほどこだわりを感じてはいなかったので、この辺で止めて他のゲームがやりたかったのである。 しかし、止められない。 やればやるほどに面白くなってくるのである。 「限界効用逓減の法則」には全く当てはまらないのだ。 ゲームって初めから面白さのすべてが分かっているわけではない。 まずゲームを理解する過程がある。 理解した上で、じゃあ自分はどう取り組むの?という段階になって、初めて喜びを得るのだ。 そして、たとえそれが同じことの繰り返しであっても、その喜びは増加していくことがある。 『CRAZY TAXI』で言えば、「お客さんの前で驚かせずにピタッと止まる」という行為の繰り返しが、とても面白く感じられたりする。 だから、こうやっていつまでもプレイし続けているのである。 ゲームはいわゆる嗜好品の仲間にはいるのかもしれない。 だが「限界効用逓減の法則」には当てはまらない。 なぜならば、私たちは与えられるだけではないのだ。 自らプレイする。 自ら喜びを引き出していく。 そして、だからゲームは素晴らしいのである。 逓減なんかしてたまるか。 へへんっだ。 <でも・・・> 一本道のアドベンチャーなんかは当てはまるかも。 |