この世の中に変わらないものってあるだろうか? 「ゆく川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮かぶ泡沫は、かつ消えかつ結びて久しく留まりたるためしなし」と書いたのは鴨長明である。(字句は曖昧) 人も物も時ともに移ろいゆくのが定めなのであろう。 しかし、私は校長先生に「こんな戦闘シーン見たことありますか?」と問われたとき、あるよ!と思った。 いままで見てきたものとまるで変わらない。 校長先生が問うているゲームとはゲームボーイアドバンス(以下GBA)用『黄金の太陽〜開かれし封印〜』なのだが、それは『シャイニングフォース』以外の何ものでもなかったのである。 調べてみると案の定、高橋兄弟が制作しているというではないか。 高橋兄弟はいま任天堂から仕事を請け負っているようだ。 かつては「ソニック」「キャメロット」とブランドを分けて、SS・PSにゲームを供給していた彼らも、同じ所にはいられなかったわけである。 セガですらDCを去らんとするいま、彼らが任天堂サイドに立つことを責めることなど誰に出来よう。 私はどうしてもこの『黄金の太陽〜開かれし封印〜』はやらねばなるまいな、という気がしていたのだ。 発売日に私はGBAとこのゲームを購入した。 プレイしてみて驚いたことには、まるで同じだったのである。 同じである、ということの一つにはシャイニングシリーズと同じだ、ということが挙げられる。 もちろん、「ジン」とか「エナジー」とか新規な点はあるのだが、その中心に座っているものが同じなのだ。 デザインにせよ、音楽にせよ、テキストにせよ、同じ匂いを持っている。 なるほど高橋兄弟の作品だと思わせるテイストである。 そしてもう一つには、純粋なゲームの楽しみが挙げられる。 昔と同じ。 どうも最近の私達は「空間把握」というハードルを越えないとゲームを楽しむことが出来なくなっていた。 この『黄金の太陽〜開かれし封印〜』には、そういうハードルのない、純粋な楽しみが詰め込まれている。 そこには懐かしい匂いすらあるのだ。 私達には過去に置いてきてしまった喜びがある。 3Dであることを前提としたゲームづくりにばかり目を向け過ぎていたのだ。 まだやり尽くしていないし、陳腐化もしていない喜びが残されていたのに・・・。 それがたまたまGBAの特性、つまり処理能力は高いけれども解像度が低く3Dに向かないという特性によって、再び姿を現したのだ。 高橋兄弟がやって見せたことは、ハードウェアの制限との闘いだといってもいいだろう。 彼らがMDやSSでやってきたことをGBAで再現したわけだ。 その結果、得られる喜びも昔のままになってしまったということかも知れない。 この『黄金の太陽〜開かれし封印〜』というゲームをプレイすることは、失ってきた喜びを取り戻す旅なんじゃないかという気がしている。 あるいは、GBAによってこの旅はこれからも続くのかも。 変わらないものはあった。 ゲームの喜び。 いつまでそれが変わらないのかは誰にもわからない。 しかし、少なくともいま目の前にはある。 高橋兄弟はそのフィールドは変えたものの、今もなお変わらぬ喜びを創り続けているようだ。 <語注> 校長先生:CMに出てくる校長先生です。本物じゃありません。 高橋兄弟:「シャイニングシリーズ」を製作してきた兄弟。『みんなのゴルフ』も彼らの会社の作品ですが、『2』の方は違うらしいです。大人の事情があるのでしょうか? ジン:妖精みたいなもの? エナジー:超能力みたいなもの。 |