逆転検事2_2

尊敬には値しなくても 2011_02_27

 

難しいゲームと簡単なゲーム、クリアした際に払われる敬意はやはり難しいゲームをクリアした方に多く表される。
それは大抵ご納得いただけるのではないか。
FFクリアしても誰からも褒められないけど、難しいシューティングゲームをクリアすれば、褒めてくれる人がいそうな気がするでしょ。
このことはプレイする側だけではなく、創る側においても同じことが言えるのではないか。
ゲームを創ることもまたゲームなんだから、ま、当たり前と言えば当たり前のことである。

『逆転検事2』をプレイし始めてしばらく、実はあんまりこのゲームは褒められない、いや、ゲームじゃないか・・・、このゲームのクリエイターは褒められない、と感じていた。
というのも、物語を創ることが簡単そうに思えたからである。

確かに、物語は逆転逆転・・・とまでは行かないけど、どんどん展開はしていく。
面白い。
しかし、やりたい放題じゃないか。
「逆転裁判」だったら証拠集めと裁判が完全に分離しているから、裁判に入っちゃったら基本的には内容を追加出来ない。
ところが、「逆転検事」は現場でやり取りしてるから、いっくらでも証人や証拠を追加出来ちゃうんだよね。
ちょっとやっては新規な情報、ちょっとやっては新規な証言、という具合にどんだけでも足せるんだ。
それってなんか狡くないか?
そりゃボリュームも稼げるってもんだよ。

結構話の内容はメチャクチャでしょ、「逆転裁判」にせよ、「逆転検事」にせよ。
今回のは特に酷かった。
裁判官が検事のアシストするのオカシイだろ、とか指摘しだしたらキリがない。
そこは制限のある中で苦しんで創ってるからこそ、こっちも目をつぶってやろうと思えるわけですよ。
でも、こんな自由に話を展開出来るんなら、もっと納得いくものにしてもらわんと、素直に受け入れられないよなー、なんて第2話ぐらいまでは思っていた。
最終的にはケチをつけるよりは褒めたい気持ちが勝ったけど。

まあ、遊ぶ側からすれば、創り手が苦しんでいようがいまいが関係ないともいえるしね。
面白ければ良いんだ。
リスペクトは出来ない、という気持ちは依然として残っているけど、創り手はリスペクトされなければならない、ということもないし。
これはこれでいいんでしょうな。



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