雨格子の館_2

アクセス音は聞こえない 2007_04_10

 

PS2で発売された『雨格子の館』。
このゲームを開発したのがフォグだと、ディスクを起動させてから知った。
プレイしてみると、なるほどDCの『ミッシングパーツ』と似ている。
この「似ている」というのは何が似ているのかというと、つくりがビックリするぐらい安く、それでいてあまり安さを感じさせないところが似ているのである。
しかも、安く創ることがゲームの狙いとも結果的に符合することに感心した。
その点について、少し書いてみたい。

DCの『ミッシングパーツ』をプレイすると、すぐに気づくことがある。
ほとんどの場面で一枚絵がない。
登場人物一人につき、数パターンの立ち絵が用意されていて、それを拡大縮小して背景に貼り付けているだけである。
DCのアクセス音から推測するに、開発機上で拡大縮小&補正したデータを個別にGD-ROM内に持っているようであった。

一方、この『雨格子の館』では背景である館の内部が3Dになった。
3Dで描かれた館の上に登場人物を貼り付けているだけである。
館のデータさえ作ってしまえば、他に何もいらない。
これは安かっただろうな。

しかも、PS2上で拡大縮小&補正をかけているんじゃないか。
あくまでアクセス音からの推測だけど。
大部分のデータがメインメモリ内に収まっているような気がする。
なかなか快適だった。

このゲーム、事件を解決するために何を知る必要があるのか、がはじめは分からない。
そこら中ダミーだらけ。
時間制限のある中で、本を調べたり、キーワードを投げかけたりする必要があるので、相当回数リプレイを想定して作られているはずだと思う。
一度に会話できる回数を制限していることもあって、かなり面倒だ。
加えてこのゲーム、一つ答えを間違えるとバッドエンド直行になる選択肢もあり、頻繁にリロードして既読スキップを使うことになる。
もしこれで、画面が変わるたびにアクセスしていたら、これは大変なことになっただろうな。
安いつくりで正解だったのだ。

元々あまりお金をかけられないから、こういうつくりになったのかもしれないが。
つまり、同じ事を何回もやらせることで、単位プレイ時間当たりの開発費を抑える作りに。
何回もやらせる代わりに足回りを軽くしようって考え方はアリだと思うな。


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