私は「Nintendo Labo」の遊びを創造する側面にはあまり期待していない。 なぜならば、クリエイティビティの高い人間はそれほど多くないからである。 「Nintendo Labo」を子供に買い与えた親は、子供に創造性の成長を期待するとしても、多くの場合、それは裏切られるだろう。 だから私は「Nintendo Labo」が大ブレイクするとは思っていないし、私自身がクリエイティビティを発揮できるとも思っていない。 私が『Nintendo Labo Toy-Con 01: Variety Kit 』を買ったのは、あくまで私を楽しませてくれるゲームであると期待しての事である。 この場合の「ゲーム」とは広義の意味であっても差し支えない。 まだ「リモコンカー」「つり」「バイク」の三つしか作ってないけども、なるほどと思うところはあった。 ダンボール工作を進める時の説明方法が素晴らしいな。 何が素晴らしいって、ボタンを押してないと説明が進まないところが素晴らしい。 ボタンを押さないと進まないので、普通にやっていれば製作と説明が同期する。 同期させる事によって間違いを減らしたり、創り手の不安を軽減する作用もあるのだが、それ以外にもゲーム機の外側に喜びを拡張させる効果もあるんだ、 ゲーム機の中で喜びを煽ったり、完成した事に価値を持たせると、それが実際に作ったダンボール製の何かしらに対しても同じように作用するのである。 例えば「つり」だったら、NSの中にある釣り竿と実際に作ってるダンボール釣り竿は全く同じもので、且つ完成するタイミングも同じだからね。 ただ単に自作するだけより達成感があるよ、「Nintendo Lab」は。 へたなゲームやるよりダンボール工作してる方が楽しい。 もっともテレビゲームとして楽しいかというと、それはまた別の話だ。 個々のゲームの出来による。 「バイク」は単調ですぐに飽きるし、「つり」の出来は良くても魚の種類が少なくて長時間は遊べなさそうな感じ。 どうやら任天堂の狙いとしては、遊ばせるより、自分で遊び方を開発して欲しいのだろう。 出来のいいゲームを同梱してしまうと、創造する気にならないからな。 やる気のない私にとっては困った話である。 作っただけで満足してしまうダンボール工作物がどんどん増えていくだけ。 早くも後始末のことが気になりだしている。 |