レボリューション

「間口を拡げる」の新しい解釈 2005_09_16

 

任天堂次世代機、コードネーム「レボリューション」のコントローラーが今日発表された。(9月16日現在)
コントローラーの詳細については面倒なので書かない。
ここに来る人ならば当然知っているだろう。

あれはまた予想を超えるコントローラーだったな。
まさか片手で持つ仕様になっているとは思わなかった。
あんなので普通にゲームできるんだろうか。
実際にさわってみるまでは想像も付かない。

ただ、これまでの経験から、きっとそれなりに面白いんだろうな、という妙な安心感はある。
かつて3Dスティックを見たときは、任天堂嫌いだったこともあって良い印象は持たなかった。
が、使ってみたらあれほど素晴らしいコントローラーは他になかった。
NDSのタッチスクリーンにも私は懐疑的だった。
が、最近私がプレイしているのはNDSばっかりである。
過去の経験から言って、任天堂がGOサインを出したからには、少なくともやりようによっては面白いんだろうと思える。
それは、任天堂ブランドへの信頼、という言葉で表現する事ができるだろう。

でも、それだけじゃ面白くないから、少し考えてみようか。
新しいコントローラーが拓く未来を。

その前に、私は岩田社長のプレゼン記事を読んで気付いたことを書いておかなければならない。
私たちは「間口を拡げる」ということの解釈を間違えていた。
間口を広げることを、つい「難易度を下げる」ことに結びつけすぎていたんだな。
これまでゲームをしてきた人に同じ事はやらせられない、人間は飽きるから。
だから置き換えのルールが複雑になる。
その一方で、間口を拡げたいという思いから難易度を下げてきたのである。
置き換えのルールさえ理解すれば誰でも出来るようにゲームは創られてきた。
それを「間口が広い」と、どういうわけか思ってしまっていたんだな。
確かに導入はうまいゲームが増えてきたよ。

以前、『アナザーコード 2つの記憶』について置き換えの話を書いたけど、ゲームってのは長年、置き換えのルールを複雑化する方向に進化してきた。
コントローラーはほとんど変わらないのに、ゲームの表現力は増加していくんだから仕方のないことである。
ところが、人間は覚えたくないんだ、そんな誰かが勝手に創作した置き換えのルールなんか。
覚えなきゃならない理由なんかどこにある?
だからこそNDSが登場したんだ。
タッチパネル使うことで置き換えをシームレスにするという試みは狙いとして正解だったんじゃないかな。
はじめは懐疑的だったけど、いまはそう思うよ。

おそらく「レボリューション」で狙っているのも同じことなんじゃないか。
コントローラーの表現力を増すことで、ゲームの置き換えを理解するために必要な障壁を下げる。
言い換えれば、シームレスなゲームを提供しようって事なんだろう。
それが「間口を拡げるためにどうすればいいのか?」に対する一方の答えなんだ。
少なくとも任天堂はそう考えているらしいし、私もそれに同意する。

初めは面食らうだろうな。
いままでのゲームに慣れていればいるほど戸惑いは大きいはずだ。
自分たちの知っている置き換えのルールとは違うんだから。
でも、きっとすぐにその面白さを理解できるんじゃないか。
NDSでの体験が私にそう予感させている。
期待はドンドン膨らんでいくのに、発売がかなり先なのが残念だ。

まあ、実機にさわりもしないでこんな事書いて、後で恥ずかしい思いをしそうな気がしないでもないのだが。






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