人とゲームと

人とゲームと '99_01_29



「セガラリー2」を買ってきた。
これから私と「セガラリー2」は、どんな関係を結ぶことになるのだろうか。
私はネットワークがもたらす何ものかに期待している。

いままでやり込んできたゲームというと、真っ先に思い浮かぶのはSFの
「フォーメーションサッカー2」だ。
昨今のサッカーゲームのように、多彩な機能を持っているわけではなかった。
スルーパスはおろか、ロングパスだって、キックを調整してつなぐのだ。
やり込むと、あたかも本当のサッカーのような展開を作り上げることが出来
る。
このゲームだけは誰にも負けたくない、と思っていた。

だが、そこへ至るには、人間という重要なファクターがあった。
私の下宿の真上に住んでいた友人と対戦していたからこそ、そういう気持ち
になれたんだと思う。

我々は住んでいる下宿にちなんで、「さつきカップ」をつくった。
TVの右側に置いてあったら、私がチャンピオン、左だったら彼がチャンピ
オンと決めごとをした。
それはタバスコの空きビンをアルミホイールで包んだ、それはそれは粗末な
カップだったが、激しく奪い合いをしたものだ。
両者激しく意地をぶつけ合い、しまいには感情的対立にまで発展しかけるこ
ともしばしば。
リターンマッチ権利付きでないと、チャンピオン決定戦は行わない、とか言
い出すこともあったなあ。
その日々を懐かしく思い出す。

それ以外にというと、「蒼穹紅蓮隊」と「怒首領蜂」がある。

「蒼穹紅蓮隊」では、セガのBBSにおいて、スコアアタック大会を開いた。
10週間くらいだったろうか・・、毎日プレイしたものだ。
そして、どうしたら多くの方に「蒼穹紅蓮隊」をプレイしてもらえるだろう
か、と考えていた。

「怒首領蜂」では、アトラス公認のスコアアタックコンテストに参加した。
6週間、精一杯プレイした。
仕事をしているときも、連ヒットの事ばかり考えていた。
結果として18位になることが出来た。
その認定証は私の宝物だ。
私は「怒首領蜂」をプレイしながら、誰とも知らないライバル達と戦ってい
たのかもしれない。

こうしてみると、自分が燃えてきたゲームには、常に人間が絡んでいた事に
気がつく。
自分と如何に向き合うか、それがゲームなんだと思う。
しかし、そこへ至るには、やはり人が必要なんだ、ということも認めなけれ
ばならないのだろう。

私の好きな作家の司馬遼太郎氏の作品の中に、「人間にとって人間は最大の
娯楽なのだ」というようなくだりがる。
なるほど、我々はなによりも人を欲しているような気がする。
それを否定したい気持ちはあっても、現実には求めているんだ。

ネットワークがもたらす、人とゲームにもたらす何ものかを、私は知りたい。


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