あんまり褒めたくない、『Gears of War』を。 プレイしていて、私は嫌悪感を持った。 ただし、その構成を見れば、これは褒めざるを得ない。 これは大変困ったことである。 とりあえずeasyモード相当で『Gears of War』をクリアした。 非常に良くできた作品だったな。 これはもう私達が思う「洋ゲー」のイメージではない。 私がよく書いているところの「誘導」とか「限定」とかっていう配慮が行き届いている。 洋ゲーにありがちな、素材だけ提供して後はプレイヤーにおまかせ、みたいな感じは全くない。 たぶん「バイオハザード」の影響を受けてるんじゃないだろうか。 音の使い方なんかはバイオっぽかった。 システマティックな作りでありながら、ワンシーンワンシーンを演出することも忘れていない。 確かにこの出来なら、洋ゲーは日本のゲームに追いついた、と表現してもいいだろうと私も思った。 私はゲームの内容よりも、その心配りを買う。 (狭義のゲームとして考えれば、ゲームの内容は別にどうって事ないような気がする) しかし、私はこのゲームをあまり褒めたくないのである。 なぜ褒めたくないのか? それを説明するためには、『Gears of War』には申し訳ないが、全く関係のない話に言及しなければならない。 どこの記事だったか思い出せないのだが、たぶんカプコンの開発者が何かのカンファレンスで話した記事だったと思う。 「日本ではユーモアが受け入れられない」という話があった。 『デッドライジング』でゾンビがバラバラにされる演出を、ユーモアと表現していたんだな。(いい加減な記憶で申し訳ないが) たまたま『Gears of War』をやってるときにそれを読んで、ああ、そういうことかと思った。 『Gears of War』では敵の遺体を蹴飛しながら進む。 その蹴飛ばされる遺体がすごく軽いんだ。 関節がフニャフニャになった人形みたいに飛んでいく。 おそらくあれはユーモアのつもりなんだろう。 私はあれがすごくイヤ。 だって、遺体ってあんな挙動しないだろ。 戦場では遺体を踏んで進むことはあるだろうけど、あんなのは必要ないわな。 折角これだけのゲームを創ることが出来るんだから、その能力をもっと別のゲーム開発に活かせよ、と私なんかは思うんだ。 こんなゲームを創って、誇らしい気持ちになれるのか?と。 ところが、スタッフロールをみると、このゲームを創った連中が全くそんなことを考えていないことがわかる。 非常に誇らしげだね。 開発者の顔写真とメッセージがずらっと出てくるんだけど、家族への感謝の言葉なんかを書いている人が多い。 とても、こんなゲームを創って子供に顔向けできない、とか考えている様子は伺えないな。 おそらく胸を張ってこのゲームを創ったんだろう。 そこいら辺の感覚にズレがある限り日本では売れないだろうと私は思うね。 まあ、売れなくてもいいんじゃないか。 良くできたゲームだけど、こんなゲームやらなきゃならんこともないさ。 |