Necrobarista、Apple Arcade版

気持ちは分かる 2021_01_26

 

一時期、SMAPの草薙くんが大好きだった。
「『ぷっ』すま」を観てた頃の話だな。
その頃公開された草薙剛主演の映画「黄泉がえり」のラストが印象に強く残っている。
亡くなった人に帰ってきて欲しい、と強く願っているとホントにその人が蘇ってくる、という話なのだが、いつまでも蘇り続けているわけではない。
遠からず別れの時が来るのだ。
でも、黄泉がえり現象を体験した人は皆一様に感謝した、というような結論だったと記憶している。
つまり、もう一度別れるぐらいだったら生き返って欲しくなかった、と主張する人はいなかった、というのである。
そりゃ、一度でも会えないよりは会えた方がいいわな。
しかし、黄泉がえりをコントロールできるとしたらどうか。
黄泉がえり状態をキープしたい、と思うのが人情なんじゃないかな。


ところで全然関係ないのだが、『Necrobarista』をプレイしていた。
もちろんApple Arcadeでね。
このゲームは設定が奇抜で面白い。
死者が24時間だけ生者と一緒に過ごすことが出来るカフェが舞台なの。
この設定は珍しいよ。
ちょっと惹かれるものはあるでしょ。

ただ全然分からない。
登場人物達が何をしたいのか。
プレイヤーは冥界のルールを知らないのに、登場人物が揃いも揃って全員分かったような顔で話すのである。
まるでポーカーでブラフを張ってるかのように。
煙に巻かれる、という表現がピッタリだね。

そのことが逆にキャラの魅力に繋がっている部分はあるんだろう。
先が知りたくなるゲームではあった。
オーストアリア産らしいのだが、センスは日本のゲームっぽくて、洋ゲー特有の取っつきにくさも感じなかったな。
翻訳もかなり上手い。
プレイしていて、悪いとは思わなかった。

結局のところ、最後の方になって、やっと冒頭に書いたことに類する話だと分かるのだった。
主人公の気持ちは分かる。
ただルール設定が勝手だな、とは思うけどね。
プレイヤーと勝負はしてない感じ。
ゲームってのはなにも謎解きだけじゃなくて、先の展開を推測するのもそうだからね。
終わったときに、後味の良し悪しよりも、物足りない気持ちの方が先に立ったな。


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