一時期、SMAPの草薙くんが大好きだった。 「『ぷっ』すま」を観てた頃の話だな。 その頃公開された草薙剛主演の映画「黄泉がえり」のラストが印象に強く残っている。 亡くなった人に帰ってきて欲しい、と強く願っているとホントにその人が蘇ってくる、という話なのだが、いつまでも蘇り続けているわけではない。 遠からず別れの時が来るのだ。 でも、黄泉がえり現象を体験した人は皆一様に感謝した、というような結論だったと記憶している。 つまり、もう一度別れるぐらいだったら生き返って欲しくなかった、と主張する人はいなかった、というのである。 そりゃ、一度でも会えないよりは会えた方がいいわな。 しかし、黄泉がえりをコントロールできるとしたらどうか。 黄泉がえり状態をキープしたい、と思うのが人情なんじゃないかな。 ところで全然関係ないのだが、『Necrobarista』をプレイしていた。 もちろんApple Arcadeでね。 このゲームは設定が奇抜で面白い。 死者が24時間だけ生者と一緒に過ごすことが出来るカフェが舞台なの。 この設定は珍しいよ。 ちょっと惹かれるものはあるでしょ。 ただ全然分からない。 登場人物達が何をしたいのか。 プレイヤーは冥界のルールを知らないのに、登場人物が揃いも揃って全員分かったような顔で話すのである。 まるでポーカーでブラフを張ってるかのように。 煙に巻かれる、という表現がピッタリだね。 そのことが逆にキャラの魅力に繋がっている部分はあるんだろう。 先が知りたくなるゲームではあった。 オーストアリア産らしいのだが、センスは日本のゲームっぽくて、洋ゲー特有の取っつきにくさも感じなかったな。 翻訳もかなり上手い。 プレイしていて、悪いとは思わなかった。 結局のところ、最後の方になって、やっと冒頭に書いたことに類する話だと分かるのだった。 主人公の気持ちは分かる。 ただルール設定が勝手だな、とは思うけどね。 プレイヤーと勝負はしてない感じ。 ゲームってのはなにも謎解きだけじゃなくて、先の展開を推測するのもそうだからね。 終わったときに、後味の良し悪しよりも、物足りない気持ちの方が先に立ったな。 |