大乱闘スマッシュブラザーズX、モンスターハンターポータブル 2nd G

理解することを諦めた 2008_04_17

 

それにしても、つ〜まらんのう。
『モンスターハンターポータブル 2nd G』と『大乱闘スマッシュブラザーズX』。
買う前から分かってはいたことだが、いざ目の前にしてみるとあまりのつまらなさにビックリする。
これがいま一番売れているゲーム達だというのだから困ったモノである。
だってみんなで遊ぶことを目的としたゲームなんだぜ、両方とも。
孤独なゲーマーには辛い時代になった。

正直言って一人で遊んでいる分には、なぜこれを面白いと感じるのか理解に苦しむ。
私は理解することを諦めた。
このゲームが面白いから売れているんだ、というロジックを捨てたいと思う。
捨てる以上は何か別のロジックが必要だ。
売れているということはお金を払っているわけだが、お金を払っている対象がテレビゲームではないとすれば、あるいは考えがまとまるかもしれない。

まずここでゲームというモノの性質を考えることにする。
ここでは少し広義の意味で考えて、代表にサッカーを取り上げてみたい。

我々はサッカーをすることが出来る。
上手い下手は別にして、ドリブルシュート練習するぐらいなら一人でも出来るし、仲間を集めてミニサッカーすることも当然に出来る。
じゃあ、全然知らない人とサッカーをすることは出来るだろうか?
これももちろん出来る。
たとえば、日本代表のサッカー選手は全く見も知らず、言葉も通じない外国の代表と戦っているのである。

じゃあ、なぜ見も知らぬ相手とプレイできるのか?というと、これはルールがあるからである。
相手が誰であれ、一応ルールに則っているであろうという前提があるから戦えるのだ。
ルールを作るということは、実は個体へ理解を不要にする効果があるのである。
ここで言うルールというのは「手を使ってはいけない」というようにゲームを定義づけるモノであり、いわばゲームそのものだ。
スポーツであれ、テレビゲームであれ、負荷がデザインされたものは全て同じゲームなのだと私が考える所以でもある。

ゲームには参加する者、相互の理解を不要にする効果がある、ということに着目するとこれは一つ面白いことが言える。
我々はいっしょにゲームを楽しんでいても、実は相互理解が深まっているわけではないのだ。
ゲームをきっかけに仲良くなることはあっても、脳みそをゲームに100%向けている時間はゲームの対戦相手としての個性だけがあって、相手がどんな人間でどんな主義主張をもっているのかは関係ないのである。

人間、膝をつき合わせて話をすれば、必ず意見が食い違う。
理解できないこと、許容できないことがある。
全部理解できるなんてのはむしろオカシイ。
一人一人違う世界で生きているんだから、理解なんか出来なくて当然なのである。
だから、人と向き合うことは非常に難しい。

しかしながら、人は人を欲するのである。
人は人を欲しながら人と向き合う事には躊躇する。
だから、向き合わなくてもいいゲームにお金が支払われるのではないか、と私は思うのだ。
例えばWiiなら、家族で一緒に遊べるだろう、と考えるのは、ゲームしている間は子供や伴侶を理解しているかどうかは関係ないからなんじゃないか。
Wiiとソフト一本買ったら約3万円だけど、子供と向き合う恐怖に比べたら安いものだろう。
純粋にゲームに3万円、というと普通はちょっと考えるものだが、お金を支払っている対象が違う。
PSPとモンハンにおける友人関係だって、同じことがいえるのではないか。

このように考えれば、私が『モンスターハンターポータブル 2nd G』と『大乱闘スマッシュブラザーズX』に面白さを感じなくても、全く不思議はない。
面白いから売れているワケじゃないんだから。
私が人を求めない以上、、面白くないと感じることに些かの問題もないのである。
もっとも、人間として些か問題を抱えているのではないかという指摘を受けることはあるかもしれない。
その指摘は甘んじて受けよう。


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