どうして街・村が鬱陶しくなってしまったのか

どうして街・村が鬱陶しくなってしまったのか '99_02_17

 

このところ、RPGをやっていて、街・村に入るのが鬱陶しいと感じることが多かった。
街人・村人に話を聞くのがおっくうなのだ。
むかしは、それがRPGの一つの楽しみだったはずなのに、今は面倒くさくてしょうがない。
でも、聞いて回らないと納得できなくて、半ば義務的にぐるぐる歩き回ることになるのだ。
もちろん楽しくなくなってしまう。

どうしてなんだろう?って思っていた。
明らかな言葉になって現れたのは、「グランディア」をやっている時だった。
先へ進むたびに現れる新しい街を思うと、憂鬱になるのを感じた。
私はそのとき、その感覚を、「街が広すぎたり、3D特有の空間把握の難しさ故の事だろう」と考えていた。

先日、学生さんと電車に乗っていて、「FF8」の話になった。
学生さんは発表を終えて、早速FF8を買ってきた帰りだったのだ。

話はFF8から歴代のFFへと移り変わり、終いにドラクエになった。
彼はドラクエ2の話を思いだしたように話した。
「ドラクエ2なんか、なんにもない壁を調べないと話進まないんですよ。わかんなくて、友達にききましたよ、あの時は。たぶん村人かなんかがヒントを持っているんでしょうけど、その村人に気づかなかったら永遠に解けませんよ。」
私はドラクエ2をやったことはないのだが、なにげにこう答えた。
「ああ、そう言えば昔のRPGは、なんでもない村人のコメントに重要なヒントが隠されてたよね。新しい村を訪れることって、新しい村人の話を聞くことみたいなものだったね、そういえば。」

自分で話してみて気がついた。
そうだ、最近のRPGって、イベントに絡まない村人は重要な話をしてくれないじゃないか!
イベントは起こるべくして起こるのだ。
「グランディア」だって、街の人は世界観を演出するために必要以上に練り込んだセリフを喋るけど、たいして重要な話はしてくれないんじゃないか?
つまり話を進めるという観点から見ると、もはや村人に話を聞いて回るという行為は無意味なのだ。
それは逆に言うと、ゲームをより深く楽しむことよりも、とりあえず先に進みたいと自分が思っている証拠でもある。

村人から話を聞いて回るという行為をRPGから除いてしまったら、どんなにか味気ないものになるだろう。
でも、自分はそれを望んでいるという側面もある。
ひょっとするとそれは、私だけの事ではないはずだ、という気すらしている。
どうすればいいのだろう。

一番良いことは、そんなことを考えなくてもいいくらい、ゲームにのめり込める事なんだろうけど。


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