ゼルダの伝説〜ムジュラの仮面〜

ゼルダはずるいよ 2000_09_10

 

私は敗北者であった、『ゼルダの伝説〜ムジュラの仮面〜』において。
4つの神殿のうち、最後の神殿はほとんど攻略本頼りのプレイになってしまったからだ。

攻略本を買ってきてからも、しばらくプレイする気になれなかった。
これでクリアしちゃったら負けじゃん、という気持ちと、もうどうにもならん、という絶望的な気持ちとが混ざり合ってもはや正面から取り組めなくなってしまったのだ。
しかし、いつまでもここに留まってはいられないだろう!、と自分を励ましながらプレイを進めた。
そして、ようやく今日エンディングを迎えることが出来たのだ。

実をいえば、「攻略本を見ながらでないとプレイできないようなゲームは如何なものか?」という趣旨を書こうと思いながらのプレイだったことを、私は白状しなければならない。
ところがいま私が書こうとしていることは、そうではない。
ゼルダはやっぱり素晴らしい!ということなのである。

このゲームの素晴らしさは、同じ3日の間に人間ドラマを詰め込んだところにあると思う。
決してサイドストーリーばかりのことではない。
ゲームのシステム自体は前作から引き継いだものであり、そこに魅力を見いだすことよりも、私は物語の素晴らしさにこのゲームの魅力を見いだしたい。
エンディングで、かつて彼と出会った切り株に描かれた絵を見て、思わず私は「ゼルダはずるいよ」とつぶやいた。

よくよく考えてみると、不思議なゲームだったのである。
発売直後にゲームショップで攻略本が一緒に売られているなんて、普通あるだろうか?
前作『時のオカリナ』の時には、手引き書が付いてきたが今回はない。(明らかにより難しくなっているのに)
ひょっとすると、攻略本見てもいいんだよ、という制作者からのメッセージではなかったのか。
敗北者に都合のいい解釈だろうか。

私は攻略本を見ながらのプレイになったこの7〜8時間ほど、とても楽しかった。
悔しくないといえば嘘になるが。
そして、ラスボスに勝つために、いままで取りこぼしてきたアイテムを探して回るうち、ゲームにはやはり壁を作る事も必要だなあ、と感じていた。
せっかく用意されているのにプレイヤーが気付かない、たくさんの喜びを掘り起こす作用がある。
こういうゲーム作りもアリなんだ。

私はこのゲームをプレイするにあたって、一つの約束事を作っていた。
それはこのゲームをクリアするだけではなく、きちんと遊び抜く、というものであった。
『時のオカリナ』をただクリアするだけで止めてしまった事に後悔していたからだ。
お面屋が最後にいう。
「この別れが永遠になるかどうかはあなた次第」
そうだ。
このゲームをここで止めてしまうか否かも私次第なのだ。
ボンバーズ手帳はまだ8個の依頼が完遂されておらず、お面も4つ足りない。
これを埋めたとき、私の本当のムジュラ評は決まるという気がする。
この別れが永遠になるわけではなさそうだ、いましばらくは。


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