ビューティフルジョー

大失態 2003_08_05

 

しまった。
今ひとつ楽しめなかった、『ビューティフルジョー』。
世界観といい、キャラクターといい、大好きな作品なのに。
大失態である。

この『ビューティフルジョー』っていうゲームは、私が思う「美」を見事に表現してくれている。
ただ敵の攻撃を避けるだけじゃなくて、無意味に回転したり、舌をペロッと出しているところが美しい。
そういうの全然必要じゃないでしょ?
私が求めていたのはこれなんだよ。
たぶん「見(魅)せる」という意味で「beautiful」を「viewtiful」と書き換えているんだけど、これは正しく「美」である。
しかもこれは負荷にはならない。

ゲーム内容も、ムービーの世界であるということを、ゲームのギミックとしてうまく取り入れている点が素晴らしい。
例えば、水滴が落ちるシーンを拡大かつ超スローで撮影すると、小さな水滴の弾ける様が大迫力の映像になる、ということは現実にある。
また、ゆっくり回るプロペラを撮影して早回しすれば、プロペラは速く回っているように見えるわけである。
それをゲームの効果として使う。
スローかけるとダメージが大きくなったり、早送りすると高く飛べたり、という効果として。
しかも、それを謎解きにも使っていくのだ。
うまいねっ、と思わず唸ってしまう作品である。

ところが。
凄く気になることがあって、それを考えながらプレイしていたら全然楽しくなかった。
私が気になったのは、第1面前半のヘリコプター。

これがメチャメチャ手強かった。
まだ第1面の前半なのに。
はじめてプレイした時、これは「壁」なのか?と思った。
ゲームの中には壁が必要だ。
壁を乗り越えさせることで、プレイヤーにゲームを理解させる。

しかし、この時点ではまだプレイヤーは全てのアクションを手に入れていない。
壁を設定する位置としては不適当なのだ。
この後に手に入れるアクションによって、プレイヤーはよりベターな戦略を考えることが出来るかもしれないから。
ここに壁を作る意味がない。
オマケに、この時点では一回目のセーブポイントにも達していないので、コンティニューしてもはじめからやり直しになってしまう。
つまんないチュートリアルを何回もやり直すことになるのだ。
これはおかしいよなあ、と思った。

最後までプレイしてみるとわかるのだが、これはやはり壁ではなく、そういう設計思想なのである。
簡単にはクリアさせない、という。

どうやら、プレイヤーは何回もプレイしてはくれないだろう、ということで、一周を出来るだけ長くしようとしている節がある。
同じ事を何回もやらせるシーンが多い。
無制限でコンティニュー出来るんだけど、結構ウンザリすることが多かった。
セーブポイントの間近までいってコンティニューすると、また同じ事をたっぷりやらなければならない。

中ボス・ラスボスが異常にタフなのも、おそらくそういう設計思想なのだろう。
同じ攻撃方法で10〜15回もアタックしないと倒せないのだ。
このゲームの難しいところは、同じ事を正確に何回もやらなければならないところである。
美しくプレイすれば同じ攻撃にはならないでしょ?っていうんだけど、普通まずクリアしたい。
こだわりのプレイは2回目以降でしょ。
ところが、何回もやるようには創ってないと私は思う。
この辺にちょっと矛盾を感じる。

こういう設計になるのは、結局私達がアクションゲームをやり込まなくなったからだ。
簡単に言えば贅沢になったんだ、私達の方が。
更に、シューティングなんかと違って強制スクロールじゃないから、プレイヤーに稼ぐ喜びを提示しづらい。(自由に動け回れちゃうから)
ホントにアクションゲームって創りにくいんですよ、たぶん。
いや、「たぶん」ですよ、ゲームつくったことないんだから、私は。

なんてな事を考えていたら、全然楽しくなかったのである。
楽しめるゲームだっただけに残念。
ホントに大失態。
自分のゲームを楽しむ才能に失望した。
あのヘリコプターが最初に出てこなければ、こんなことにはならなかったのに・・・。



<補足>
このゲーム、凄く難しいですが、それほど恐れる事はないと気が付きました。
コンティニュー時にビューティフルポイントを引き継げるので、頑張ってやればプレイヤーの成長とアイテムの購入でいつかはクリアできます。
もちろん、「いつか」ですが。



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