しまった。 今ひとつ楽しめなかった、『ビューティフルジョー』。 世界観といい、キャラクターといい、大好きな作品なのに。 大失態である。 この『ビューティフルジョー』っていうゲームは、私が思う「美」を見事に表現してくれている。 ただ敵の攻撃を避けるだけじゃなくて、無意味に回転したり、舌をペロッと出しているところが美しい。 そういうの全然必要じゃないでしょ? 私が求めていたのはこれなんだよ。 たぶん「見(魅)せる」という意味で「beautiful」を「viewtiful」と書き換えているんだけど、これは正しく「美」である。 しかもこれは負荷にはならない。 ゲーム内容も、ムービーの世界であるということを、ゲームのギミックとしてうまく取り入れている点が素晴らしい。 例えば、水滴が落ちるシーンを拡大かつ超スローで撮影すると、小さな水滴の弾ける様が大迫力の映像になる、ということは現実にある。 また、ゆっくり回るプロペラを撮影して早回しすれば、プロペラは速く回っているように見えるわけである。 それをゲームの効果として使う。 スローかけるとダメージが大きくなったり、早送りすると高く飛べたり、という効果として。 しかも、それを謎解きにも使っていくのだ。 うまいねっ、と思わず唸ってしまう作品である。 ところが。 凄く気になることがあって、それを考えながらプレイしていたら全然楽しくなかった。 私が気になったのは、第1面前半のヘリコプター。 これがメチャメチャ手強かった。 まだ第1面の前半なのに。 はじめてプレイした時、これは「壁」なのか?と思った。 ゲームの中には壁が必要だ。 壁を乗り越えさせることで、プレイヤーにゲームを理解させる。 しかし、この時点ではまだプレイヤーは全てのアクションを手に入れていない。 壁を設定する位置としては不適当なのだ。 この後に手に入れるアクションによって、プレイヤーはよりベターな戦略を考えることが出来るかもしれないから。 ここに壁を作る意味がない。 オマケに、この時点では一回目のセーブポイントにも達していないので、コンティニューしてもはじめからやり直しになってしまう。 つまんないチュートリアルを何回もやり直すことになるのだ。 これはおかしいよなあ、と思った。 最後までプレイしてみるとわかるのだが、これはやはり壁ではなく、そういう設計思想なのである。 簡単にはクリアさせない、という。 どうやら、プレイヤーは何回もプレイしてはくれないだろう、ということで、一周を出来るだけ長くしようとしている節がある。 同じ事を何回もやらせるシーンが多い。 無制限でコンティニュー出来るんだけど、結構ウンザリすることが多かった。 セーブポイントの間近までいってコンティニューすると、また同じ事をたっぷりやらなければならない。 中ボス・ラスボスが異常にタフなのも、おそらくそういう設計思想なのだろう。 同じ攻撃方法で10〜15回もアタックしないと倒せないのだ。 このゲームの難しいところは、同じ事を正確に何回もやらなければならないところである。 美しくプレイすれば同じ攻撃にはならないでしょ?っていうんだけど、普通まずクリアしたい。 こだわりのプレイは2回目以降でしょ。 ところが、何回もやるようには創ってないと私は思う。 この辺にちょっと矛盾を感じる。 こういう設計になるのは、結局私達がアクションゲームをやり込まなくなったからだ。 簡単に言えば贅沢になったんだ、私達の方が。 更に、シューティングなんかと違って強制スクロールじゃないから、プレイヤーに稼ぐ喜びを提示しづらい。(自由に動け回れちゃうから) ホントにアクションゲームって創りにくいんですよ、たぶん。 いや、「たぶん」ですよ、ゲームつくったことないんだから、私は。 なんてな事を考えていたら、全然楽しくなかったのである。 楽しめるゲームだっただけに残念。 ホントに大失態。 自分のゲームを楽しむ才能に失望した。 あのヘリコプターが最初に出てこなければ、こんなことにはならなかったのに・・・。 <補足> このゲーム、凄く難しいですが、それほど恐れる事はないと気が付きました。 コンティニュー時にビューティフルポイントを引き継げるので、頑張ってやればプレイヤーの成長とアイテムの購入でいつかはクリアできます。 もちろん、「いつか」ですが。 |