マイノリティであるって、どういうことだろう? 最近よく考えるテーマ。 というのも、研究室で使うOSの分布とその愛着の間にある関係を、毎日のように見ているからだ。 Win:Mac:Linux=9:5:1 これがOSの利用分布である。 研究室ではWindowsが必要になるシーンがある。 海外の研究者から送られてくるデータの多くはWindows用で作られており、同じアプリケーションを使っても、データが化けてしまうようなことが多々ある。 昔はいざ知らず、特にWindowsに不便を感じることが少なくなった今、Macを使うというのは、敢えて使うのである。 私はそこにマイノリティの心理を垣間見る。 少数派でいることの心地よさ、大勢に流されていない嬉しさ。 言葉にするのは難しいが、確かにそんな何かを感じる。 Linuxユーザーになると、これは更に度を増すことになる。 数値演算をするのに、軽くて無料のLinuxを使うというのは、合理的であるように思うが、平素使うOSとしては、敢えてあの苦労を拾う気が私はしない。 ところが、Linuxの面倒を見ている彼は、なんか嬉しそうなのだ。 ひるがえって、自分のゲームを考える。 かつてMD(メガドライブ)がかわいくて仕方なかった。 なぜみんな買わないんだ、と独り腹を立てていた。 その流れでSSを偏愛してきた。 PSは持っていても、出来るだけゲームは買わない。 最近は国内で全然売れない64が好きだ。(これはゲームの質が違う、という話もあるが) ソフトだって、そう。 話題になっているゲームは面白いと思っても、わざわざ「このゲーム面白いよ」と声をあげる気にはならない。 あまり話題になっていないゲームで、「これはっ!!」と思うものを見つけた時、とにかく誰かに伝えたいと思うものだ。 さて、果たして「マイノリティでありたい」、と思うことはおかしな事だろうか? そんなことはないだろう。 好きで買ってる苦労なのだ。 ただ、ほんのちょっと精神が屈折してるだけ。(笑) |