マイノリティの心理

マイノリティの心理 '98_12_13

 

マイノリティであるって、どういうことだろう?
最近よく考えるテーマ。
というのも、研究室で使うOSの分布とその愛着の間にある関係を、毎日のように見ているからだ。

Win:Mac:Linux=9:5:1
これがOSの利用分布である。

研究室ではWindowsが必要になるシーンがある。
海外の研究者から送られてくるデータの多くはWindows用で作られており、同じアプリケーションを使っても、データが化けてしまうようなことが多々ある。
昔はいざ知らず、特にWindowsに不便を感じることが少なくなった今、Macを使うというのは、敢えて使うのである。

私はそこにマイノリティの心理を垣間見る。
少数派でいることの心地よさ、大勢に流されていない嬉しさ。
言葉にするのは難しいが、確かにそんな何かを感じる。

Linuxユーザーになると、これは更に度を増すことになる。
数値演算をするのに、軽くて無料のLinuxを使うというのは、合理的であるように思うが、平素使うOSとしては、敢えてあの苦労を拾う気が私はしない。
ところが、Linuxの面倒を見ている彼は、なんか嬉しそうなのだ。

ひるがえって、自分のゲームを考える。

かつてMD(メガドライブ)がかわいくて仕方なかった。
なぜみんな買わないんだ、と独り腹を立てていた。
その流れでSSを偏愛してきた。
PSは持っていても、出来るだけゲームは買わない。
最近は国内で全然売れない64が好きだ。(これはゲームの質が違う、という話もあるが)

ソフトだって、そう。
話題になっているゲームは面白いと思っても、わざわざ「このゲーム面白いよ」と声をあげる気にはならない。
あまり話題になっていないゲームで、「これはっ!!」と思うものを見つけた時、とにかく誰かに伝えたいと思うものだ。

さて、果たして「マイノリティでありたい」、と思うことはおかしな事だろうか?
そんなことはないだろう。
好きで買ってる苦労なのだ。
ただ、ほんのちょっと精神が屈折してるだけ。(笑)


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