インテリジェント ライセンス 2_2

人を測る物差し 2007_10_24

 

我々の生きている社会は「学歴社会」などと言われる。
そして学歴だけで人間の何が分かるのか、などとそれはしばしば批判の対象になるのだが、私は学歴にはそれなりの意義があると思っている。
学歴は汎用の物差しとして最高の精度を持っているからだ。
なぜならば、あらゆる試験の中でもっともサンプル数が多く、条件がもっとも公平だからである。
ほとんどの学生がよーいドンで勉強をスタートし、3年で結果が出る。(中にはフライングしたり、ドーピングしてる奴もいるけど)
今時の、いや、私たちの頃、それよりもっと前から、受験生は自分の偏差値に合った大学を概ね受験するので、学歴は概ね高校卒業時の偏差値を反映したものになるはずだ。

他の試験ではこうはいかない。
もっとも難しいと言われる司法試験を例に考えてみると、そもそも試験を受ける集合が小さく、30年勉強してきた人と一年目の人が同じステージで戦わなければならないのだ。
試験に受かった落ちた、でその能力を測ることが出来ないことは明白である。

もちろん、学歴なんてのはあくまで「汎用」の物差しに過ぎない。
むしろ、最も精度の高い物差しですら大して使い物にならない、と考えるべきである。
個々の用途には専用の物差しが必要だ。
サッカー選手にはサッカー選手の物差しが必要だし、デザイナーにはデザイナーの物差しが必要だろう。
使うべきでないケースに汎用の物差しを用いる人がいるとすれば、それは物差しが悪いのではなく、用いる人が悪いのである。

なんで、ゲーム話でこんな事から書き始めたのかというと、ゲームもまた人を測る物差しだからである。
実にイヤらしい話ではあるが、ゲームをすればやはり能力差が出る。
ゲームというのはその構成から考えれば、負荷を設計・デザインすることだと考えて差し支えないと思うのだが、ゲームした結果というのはある特殊な物差しで人を測っているのと同じことなのだ。
つまり、ある条件下で人をテストしているのである。
頭の良い奴はゲームも上手い。
これは正直思い当たるところがあるな。
頭の良い学生がクラスの授業が物足りない、もっと難しい問題を出してくれ、と言う姿と、シューティングゲーマーがもっと難しいの出してくれ、と言う姿はちょっと似ていないこともない。
もっとも、我々がやってるゲームなんてのは極めて特異な物差しであって、社会的な価値もないから、特に意識しないで遊べるのである。

私は『インテリジェント ライセンス 2』のPQ値というのにちょっと引っかかっていた。
従来から使われている知能指数IQよりもより人間の能力を的確に反映すると、この数値を開発した研究者は主張しているらしい。
実際やってみると、この主張は正しいと感じるな。
我々の生きている世界は3Dだからね。
紙の上でやるIQより、確かに空間把握を重視するPQ値の方がより的確に人を測ることが出来そうである。

しかし、このゲームをやることで自分の潜在的な能力を測られてしまうとすると、これはちょっとイヤだな。
自分の数値、あんまり言いたくないでしょ?
脳トレやって、「脳年齢60歳だった!」とは平気で言えるけど、「PQが95でした」とはちょっと言いにくいんじゃないか。(PQは中央値が100で、数字の大きい方が能力が高い)
私は自分の知能指数を知らないけど、知らない方が良いこともある。
低いの知ってしまったら、これはショックだよ。
自分はその程度の人間だと思いこんでしまうかもしれない。
ましてや、PQはIQよりも人間の能力を正確に測定します、と言われて測定したいかという話である。

やはりPQ値ってのを露骨にゲームに組み込んで提示するってのは、ちょっとどうなのかなと思うね。
これは絶対にムーブメントにならないだろ。
今になって思えば、「脳年齢」を考えた奴は偉大だ。
あれは全然なんの意味もない数字だからね。
コツを覚えればすぐに数値上がっちゃうし。
簡単な問題を能力の限界まで繰り返し解くことが脳を活性化させると主張しているだけなので、脳年齢がどうこうなんてのはそもそも関係ないのである。

私は「脳トレ」なんかより、『インテリジェント ライセンス 2』の方が断然面白いと思うよ。
しかし、これが全く売れなくて話題にもならないであろう事は想像に難くないのである。
PQ値もくり返しやれば伸びていくから、実はそんなに意味のある数字じゃないかもしれない。
そこにあるのは、プレイヤーに対する提示の仕方の問題だな。
プレイヤーの意欲を高めるための指標をも設けつつも、プレイヤーを身構えさせないようにする必要があるんじゃないか。
そういう心配りは欲しいよな。



<追加>
Wiiというマシンに初めて触れたときの印象として、相対的にウマいヘタはあってもいいけど、絶対的にウマいヘタがあってはならない、という感触があった。
絶対的に、という言葉がわかりにくければ、定量的に、と言い直してもいい。
どこかに書いたと思うのだが。
これは要するに、ゲームを物差しにしない、というコンセプトなのかもしれないな。
ゲーマーの立場からすると、酷くつまらないことのように思えるのだが、測られたくない人の方が圧倒的に多いことは想像に難くない。
ゲーマーの言うことに全く耳を貸さない任天堂は流石だな。
むかつくけど。


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