ゲームであれ何であれ、ループが喜ばれる事なんてまず滅多にない。 同じ事を繰り返せば、そこから得られる喜びはどんどん小さくなっていくのだから。 馬鹿の一つ覚えみたいで恐縮だけど、限界効用逓減の法則である。 それでもやってしまうのは自分の創作物に過大な自信を持ってしまうからだろう。 私が一番に思い出すのは「涼宮ハルヒの憂鬱」のループをアニメでホントにやったヤツだな。 8話分だったかな? あんなんイヤがられるの分かりきってるじゃん。 案の定ブームがプシューって萎んだよね。 あんなにすごいブームだったのに。 自己評価は卑屈なくらい低い方がいいんでしょ、商業作品を創っている人たちにとっては。 もちろんゲームの世界でループなんてとんでもない。 見るだけのものより余計に時間がかかるんだから。 しかも、我々はループを回避する方法をよく知っている、というか、普段からよく使っているのである。 これから『ブレイブリーデフォルトII』の重要な部分について書くので、知りたくない方は読み進めないで下さい。 この「ブレイブリー」シリーズでは現実とのリンクをテーマにしている節がある。 しかし、今回は少し弱め。 主人公とプレイヤーが完全にイコールだとは明言していない。 外界から連れてきた、と言ってるだけ。 その代わり今回はセーブデータを現実とリンクさせてきた。 ゲーム中に登場する魔導書があらゆる記憶を吸収するものであって、これが我々のプレイするセーブデータそのものである、という体裁を取っているのだ。 これの上手いところは、バッドエンドを見せてから前に戻れるところ。 上手くいかないことを演出してみせる必要もある、ゲームだからね。 その上で手間を省いてハッピーエンドに持っていけたらプレイヤーは嬉しいはず。 結果的には我々普段やってることと同じだな。 おんなじ事をやりたくないから分岐の前でセーブしておく、という。 正にこれは得をする行為。 得をする行為そのものをゲームに組み込んでいるんだから悪いわけがない。 『1』の時みたいな意外性はないけど、無難によく出来たゲームだったという感想が残った。 たぶん過去の反省からこうなったんだと思うよ。 とにかくプレイヤーがイヤがることはやらないようにしよう、というね。 主人公をプレイヤーと同一であると明言しなかったのも、ハッピーエンドにしたかったからでしょ。 この世界に留まってもおかしくないように。 これからはこういうゲームが増えていくと思う。 DL版を売りたい、後からセールで売りたい、その後にはサブスクで小銭を稼ぎたい、となると評判の良さが重要になる。 となれば後味が大事。 結果、プレイヤーがイヤがることは出来なくなる。 オレのゲームは素晴らしいからこれぐらい我慢しろ!、なんて物言いは許されなくなったのかもしれないね。 それがイヤならインディーズに行けってことなのかな。 |