牧場物語 ワンダフルライフ
前書き 2003_09_12

人が生まれてから死ぬまでを丸々ゲームにしてみたら面白いんじゃないか?
そんなことは誰でも思いつくことである。
子供の頃の私も思いついた。

しかし、考えてみると、これはゲームにするのが非常に難しい。
なぜならば、人の一生というのは、それほど劇的ではないからである。
劇的なのは長い人生の中のホンの一瞬に過ぎない。
平々凡々に暮らす日々の方が圧倒的に長いのだ。

この「平々凡々」の部分をどうやってゲームにするんですか?というところが難しいんじゃないか。
なにせ「平々凡々」だから。
これを避けるためには、一人の人生ではなくて、複数の人間の劇的な瞬間だけを集めてゲームを構成してやったらいいのかもしれない。
そうやって創られたのが、例えば『ギフトピア』なんかだろう。

じゃあ、避けずにゲームを創ると、どうなるんだろうか?
おそらくそれに挑んでいると思われるのが「牧場物語」シリーズなんじゃないか。
以前からやりたいやりたいと思いながら、ゲームスケジュールを都合出来なかったシリーズだ。
今回『牧場物語 ワンダフルライフ』になって初めてプレイすることになった。
私の場合必ず「時間が勿体ない!」と言い出すので、今回はそれは封印して臨むことにする。

この作品はプレイに時間がかかりそうなので、とりあえずここまで書いておく事にした。




半分足りない 2004_09_14

 

プレイし始めて一年が経過した。
何とか少しずつでも進めようと思っていたのだが、このところ全くプレイできなかったな。
そろそろギブアップ宣言しようと思う。
残念ながら、「めぐみの章」の2年目までしか進められなかった。

この『牧場物語 ワンダフルライフ』をプレイしていて私が感じていたのは、半分足りないということである。
人生を構成する要素は2つに分類できる。
それは形に残る事と形に残らない事。
このゲームは形に残ることは良く出来ているのだが、形に残らないことがどうにもよくわからない。

牛を飼うのは楽しい。
ホントの牛ってのは、きっと臭かったり、言うこと聞かなかったりするんだろうけど、ゲームの中の牛たちはとても可愛いのである。
牛を愛でることは、絞られたミルクとして形に残る。(それは換金され、設備としても残る)

作物を育てるのも楽しい。
はじめは一区画ずつ水をまくなんて信じられないと思ったが、意外と何とかなるものである。
土を耕し、種を蒔き、水をやる。
この行為は、収穫として形に残る。

お姉ちゃんを口説くのも楽しい。
育てた作物や牛乳を使って料理を作り、それを年頃のお姉ちゃんに配って回る。
それは結果として、奥さんとなり、我が子となって形に残る。

形に残ることはどれも楽しいのである。
しかし、形に残らないことがこのゲームの中にあるのかというと、どうも見あたらない。
これはいけないな。
だって私たちがゲームをするということは、形に残らないことだからね。
私たちは賞をもらうためにゲームするわけじゃないし、お金を稼ぐためにゲームするわけじゃない。
タダ楽しいからやるんだ。
それは形に残らないことであり、人生を表現するためにはやはり形に残らないことも必要である。

一番目につくのは、村人が同じことしか喋らないこと。
もうちょっと気の利いたことを毎回喋ってくれればいいのに、と思ったな。
どの人と仲良くなるかで、子供の成長に影響が出るらしいのだが、あんまり喋りかける気になれなかった。
結局仕事ばっかりしてる人生になっちゃったな。

一応、一定の条件を満たすことでイベントが起こるようになっているのだが、非常に少なく感じられる。
余程大きな開発費がかけられるゲームでないと、手作りのイベントをプレイヤーの満足行く形で織り込んでいくのは無理なんじゃないか。
100個イベントを作っても、プレイヤーは30個ぐらいしか出会わないかもしれないから。
やはりシステマティックにイベントが発生する仕組みでも導入してやらないと。
『どうぶつの森』みたいにシンプルなものでいいんじゃないか。

まあ、最終的には、形に残らないことは人間に委ねるしかないのかもしれないが。
プレイヤーが満足出来るほどのAIを入れるのって、まだ難しいだろうから。(コンシューマは特にメモリの制約があるし)
ミニゲームを入れてみるっていう手もあるけど、ゲームの中にゲームを作るってことが如何に難しいか、ということは証明済みだからね。
つまんないミニゲームなんかやりたくない。
そうすると、結局人間かな、という気がする。
形に残ることはメンド臭くても意外と面白いので、一つの村の中で複数のプレイヤーが農場を経営するゲームなんてのはイケるかもしれない。
私はきっとやらないけど。




<後日談 2005_03_01>

GBAで『千年家族』というゲームが発売されるそうだ。
一つの家族を千年にわたって観察?していくゲームらしい。
これスゲー悔しい。
ここまで気づいていたなら、当然人生の中の劇的な瞬間だけを時系列を縮めて発生させる、ということは当然思いついてしかるべきだった。
こういうゲームの登場を予言できてたら、「俺かっこいい!」ってところだったんだけど。



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