ジェットセットラジオ2

間口が広いってどういうことだろう? 2000_07_26

 

ゲームを評価するとき、しばしば「間口が広い・狭い」という表現を用いる。
これってどういう意味だろう?
『ジェットセットラジオ』って間口が狭いゲームなんだろうか?

私はこの『ジェットセットラジオ』が大好きである。
本当は「ラジオ」という響きは何となくイヤで、やっぱり「JetSetRadio」と書きたいのだが、どうでも良いといえばどうでも良いことだ。

私の場合、なかなかやり込むと言うところまで至らないことが多い。
だが、このゲームに関しては2週クリアして、更に毎日ワンプレイ、という状態が続いている。
VMにはお気に入り画像が記録されており、せっせと街にグラフティングする毎日だ。
そのグラフティがエロ画像だと言うことは秘中の秘なので、御他言なきようお願いしたい。

さて、私の認識では、かなり高い期待を背負っていたゲームのはずだ、これは。
しかし、どうやらさほどセールスは芳しくないらしい。(海外ではウケそうだけど)
最近私はファミ通以外のコンシューマーゲーム批評を読まなくなったので知らなかったのだが、インターネット上の評判では、セガ特有の間口の狭いゲームだ、という批評が多いらしい。(知人から教えてもらった)
はてさて、間口は狭かったっけ?と考えてみた。

確かに最初のプレイでいきなり警察隊が出てきて邪魔するので、思い通りグラフティングすることが出来ない。
最初ぐらい思いっきり描かせて、派手なパフォーマンスを決めさせて、プレイヤーを楽しませた方が良いんじゃないかなあ、とは思った覚えはある。
更に加えるとすれば、スコアがゲーム内容に反映されないので、パフォーマンスなんかやっても意味ないじゃん!ってことにならなくもない。
もっと言えば、慣れてこないとスピード感が出ないので、なんかテンポの悪いゲームのような気がしてしまう。
言いようによっては「間口が狭い」と評することが不適当とは言えないだろう。

しかし、大きいグラフティから先に描いていけば簡単にクリアできるわけで、警官隊なんか実は大した負荷ではない。
パフォーマンスはスコアアタックを考える頃になってからやればいいし、テンポが悪いなんて、はじめは上手くいかなくて当たり前じゃん!と言えなくもなかろう。
本当の問題は、ゲームにあるのではなく、私達自身にあるのだ。(もちろん、どういう理由があれ、ゲームは売れるように作らなければならないと言うことは真理なのだが)

私達はラクなゲームに慣れてしまった。
他にもっとラクで楽しいものがあるからかもしれない。
それは間口という捉え方をしたとき、自分が肥大化したといって良いだろう。
間口が狭いのではなく、私達が大きくなって通れなくなってしまったのだ。
だからこれからのゲームはもっと間口が大きくなる。
ゲームに開発費がかさめばかさむほど多くのユーザーを取り込まねばならなくなる、という側面もあるだろう。
そして、私達はまた大きくなる。
いつかゲームは誰でも楽しめるものである事が要求され、今の私達にとってのTVのようなものになってしまうに違いない。
その時、もしかすると、またインベーダーゲームのような「弾けた」ものが私達の前に姿を現すかもしれない。
歴史は繰り返す。

だが、ひょっとすると、それを私はゲームだと思えないかもしれない。
だから私は恐れるのだ。
私が愛する、この慣れした親しんだ世界が失われてしまうことを。
ヌルいゲームが多くなったと嘆いたり、あるいは無理に難しいゲームに取り組んだりするのは、ある意味その恐れが私を突き動かしているのかもしれない。
間口なんてものは所詮、相対的なものなのだが、どうにかしてそれを固定しておきたいと思ってしまうのだ。


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