メイド イン ワリオ ゴージャス

小さすぎるゲームでも束ねれば 2018_08_10

 

小さいゲームの時代はあっという間に終わった。
DSの終焉とスマホの普及によって。
今どきは個人製作のインディーズでもそれなりに凝った作品が多くなっていて、もはや小さいゲームの入る余地はなさそうだと思っていた、少なくと買い切りタイプでは。
しかし、やりようによってはまだあるんだな。
『メイド イン ワリオ ゴージャス』は小さいゲームの集合体である。
そういえば、このシリーズ、私は初めてだった。

このゲームにはちょっと驚かされた。
個々のミニゲームはメチャメチャ簡単。
ただし、ルールは教えない。
ルールってのは負荷を定義するものであって、ある意味ゲームそのものなのだが、そのルールを理解する事に時間制限をかける事によって、正真正銘のゲームしてしまうのである。
しかもそれらを十数個束ねて、全体をリズムでつなげてやると、個々のミニゲームの価値を足し合わせるよりも大きな価値が生まれるんだよ。
過去に開発した作品がミニゲームに組み込まれているのを見ると、端切れ肉を成型して肉厚のステーキにしたかのような印象を受ける。

この「ルールを理解する事をゲームにする」事はまた上手い作用を伴っていた。
プレイヤーは個々のミニゲームを二度三度とこなしていくと、登場はランダムであってもそのうちルールを覚えちゃう。
そうするとミニゲーム自体は簡単だから、いずれ必ずクリア出来るんだ。
つまり達成感を担保する事にもなっているわけである。
上手いこと出来てるな、と感心させられた。
凄く斬新じゃん。
まあ、私は初めてやったから目新しく感じられただけだろうけど。

しかしながら、問題はある。
覚えてしまったら、もうやる意味を感じられなかった。
ランダムだから巡り会わないミニゲームはあるにせよ、ストーリーを追うだけなら、どんなにひいき目に見ても2時間で終わる。
その後どうするのか?
私はこのゲームに登場するキャラクターを全く知らないので、カードやらアイテムやらを集める事に価値を見いだせない。
そもそも個々のミニゲームにはやり込む要素はないわけだし。
これ以上、どうやって遊んだらいいのか分からなかった。
これで我々が言うところのフルプライスの価値があるとはちょっと思えないのだが。
フルプライスの価値がなさそうなものをフルプライスで売れるのが任天堂の強みだと言えば、そうなのかもしれないけどね。


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