場所が分からないのである。 NS版『ゼルダの伝説 夢をみる島』では、どこへ行ったら良いのか、かなり具体的に教えてくれるのだが、その場所が分からない。 地図に地名は書いてあるが、建物の名前は書いてないから。 ウロウロしたくないので、私は速攻でネット検索した。 もっとも、発売直後だから攻略情報なんてあるはずもない・・・と思ったらイッパイあった。 GB版の『ゼルダの伝説 夢をみる島』の攻略情報は今でも残っているのである。 GB版の攻略情報をみて驚いたことに、NS版とかなり一致していた。 序盤の一部しかみてないが、ダンジョンの謎解きやボス戦の攻略方法なんかはほぼ使える感じ。 これは凄いことだ。 だって、26年も前に、今現在やっても洗練されていると感じられるゲームとほぼ同じ体験が出来ていたなんて。 それもGBで、だよ。 あの低解像度・低処理能力のGBで。 もうビックリですよ。 ゲームの本質は画質なんかとは関係ないんだなって改めて思い知ることとなった。 ゲーム自体は特に難しいわけじゃない。 一見迷いそうなマップでも、行けるところは限られているので、クリアするのはそれほど難しいことじゃなかった。 今となっては目新しいわけでもないし、ごくごく普通のゲームをやっている感覚で進んでいくのである。 しかし、エンディングに近づくにつれて、やっぱりゼルダだなって雰囲気が漂ってくる。 もうタイトルが示唆するように、クリアするってことはアレなわけですよ。 リンクを助けてくれた村人達もアレすることになってしまう。 これもう絶対スッキリしないやつじゃん。 あの感じ。 『時のオカリナ』みたいに、もの悲しげな感動を呼ぼうとする展開が想像できちゃうよ。 あの絶対感動しちゃう狡い演出が、こんな昔から受け継がれてきたものだと知ることにもなったのである。 このNS版『ゼルダの伝説 夢をみる島』は、いま遊んでどうこうっていうわけじゃない。 けれども、もしこれを26年前にプレイしていたら、私の中での後の水準は大きな影響を受けていただろうとは思う。 却っていま遊んで良かったのかもね。 これを先にやってたら、あの感動はなかったかもしれないわけだから。 あとから知識として知るぐらいでちょうどイイ。 |