『ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡』がひとまず終わった。 プレイしはじめる前は、「シャイニングフォース」と比較してみたい、とか、竹本泉先生の話を書いてみよう、とか思っていたのだが、今は別の話が書きたい。 とりあえずゲームシステムはスルーして、物語の話である。 この『ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡』のストーリーは耳が痛い。 日本人的にはホントに痛いのである。 おそらく企画がスタートした段階ではそういうつもりはなかったのだろうが、非常にタイムリーな筋立てである。 ゲームにもこういう使い方はあるな。 従来のようにゲームが歴史を利用するんじゃなくて、歴史教育がゲームを利用したっていいんじゃないか。 私は子供の頃、「○○のひみつ」とか「まんがで見る日本史」なんかをよく読んだ。(タイトルは正確じゃないかもしれない。学研の出版物だったような気がする) 読むのがスゴク楽しかった記憶がある。 次男坊の悲しさで、私が買ってもらったものじゃなくて、兄が買ってもらったものなのだが。 あれは要するに、本だと子供は読まないけど、漫画だったら読むだろう、という狙いで作られている。 漫画の持つ力を勉強に利用しているわけである。 もともと漫画ってのはひどく低俗だと思われていたのだが、それがある時期を境にして認められてくるのだ。 ゲームもそろそろそういうステージに来ているのかな、という気がしている。 『ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡』の中では結構きついセリフが出てくるけど、あれを史実で創ってやったら迫力ありそうだ。 架空のストーリーの中であのセリフを言わせて、果たして子供達の胸に響くかな? こんな物語のゲームが沢山売れるのはちょっとおかしいと思うので、おそらくあんまり響いてないんじゃないか、と私は予想する。 ゲームには他のどの媒体よりもプレイヤーに物語を自分のこととして捉えさせる力がある。 そろそろゲームの力を利用しようとする人が現れても良さそうなもんだよな。 ゲームはちょっと創ってみようというわけにはいかないけど。 <追加 2005_05_17> そういえば、昔の「信長の野望」なんかにはシブサワ・コウが書いたコラムみたいなのが別冊で入っていた。 あれは勉強にゲームを利用するというよりは、自分の歴史観を表現する場としてゲームを利用してたんだろうな。 |