ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡

かつてのマンガのように 2005_05_16

 

『ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡』がひとまず終わった。
プレイしはじめる前は、「シャイニングフォース」と比較してみたい、とか、竹本泉先生の話を書いてみよう、とか思っていたのだが、今は別の話が書きたい。
とりあえずゲームシステムはスルーして、物語の話である。

この『ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡』のストーリーは耳が痛い。
日本人的にはホントに痛いのである。
おそらく企画がスタートした段階ではそういうつもりはなかったのだろうが、非常にタイムリーな筋立てである。
ゲームにもこういう使い方はあるな。
従来のようにゲームが歴史を利用するんじゃなくて、歴史教育がゲームを利用したっていいんじゃないか。

私は子供の頃、「○○のひみつ」とか「まんがで見る日本史」なんかをよく読んだ。(タイトルは正確じゃないかもしれない。学研の出版物だったような気がする)
読むのがスゴク楽しかった記憶がある。
次男坊の悲しさで、私が買ってもらったものじゃなくて、兄が買ってもらったものなのだが。

あれは要するに、本だと子供は読まないけど、漫画だったら読むだろう、という狙いで作られている。
漫画の持つ力を勉強に利用しているわけである。
もともと漫画ってのはひどく低俗だと思われていたのだが、それがある時期を境にして認められてくるのだ。

ゲームもそろそろそういうステージに来ているのかな、という気がしている。
『ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡』の中では結構きついセリフが出てくるけど、あれを史実で創ってやったら迫力ありそうだ。
架空のストーリーの中であのセリフを言わせて、果たして子供達の胸に響くかな?
こんな物語のゲームが沢山売れるのはちょっとおかしいと思うので、おそらくあんまり響いてないんじゃないか、と私は予想する。

ゲームには他のどの媒体よりもプレイヤーに物語を自分のこととして捉えさせる力がある。
そろそろゲームの力を利用しようとする人が現れても良さそうなもんだよな。
ゲームはちょっと創ってみようというわけにはいかないけど。



<追加 2005_05_17>

そういえば、昔の「信長の野望」なんかにはシブサワ・コウが書いたコラムみたいなのが別冊で入っていた。
あれは勉強にゲームを利用するというよりは、自分の歴史観を表現する場としてゲームを利用してたんだろうな。



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