ゼルダの伝説 スカイソードウォード

だから「ゼルダ」の伝説 2011_12_16

 

年末恒例、今年の漢字は「絆」に決まったそうだ。
私には胡散臭い響きをもって聞こえてくる言葉なのだが。
確かにやたらと絆という言葉を目に耳にしたような気はする。
結婚志向が強まったとか、地元志向が強まったとか、そういうニュースをよく読んだよ。
今年は大変なことが起こったからね。
でも、それって結局自分がよければいい、自分の周りがよければいい、ということにつながっている様にも思える。
大義のために犠牲を払おう、みたいな精神は今の時代あんまり流行らないんだろうな。
そういう風潮がゲームの世界に反映されても不思議はない。

『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』をスタートとすると、まずチュートリアルを兼ねたバックグラウンドの説明が始まる。
主人公HIVはゼルダと幼なじみで、明確に付き合っているわけではないが、そこそこいい感じ、という設定らしい。
主人公は基本的にゼルダを取り戻すために戦っているだけで、別に世界を救おうとか、そういうワケじゃなさそうだ。
世界を救うために行動するゼルダの後を追っかけることが、同時に世界を救うことになるだけなんだな。
俺が世界を救うぜ!みたいな単純な勇者話じゃ、モチベーションが上がらないんだろう、今は。
それともリアリティがない、というべきなのか。
あるいは、世界を救えると思えるような主人公では共感出来ない、という言い方でもいいかな。

あくまで世界を救おうとしているのはゼルダなんだ。
だから「ゼルダ」の伝説。
リンクの伝説でもなく、HIVの伝説でもなく。
もともとそういう設定だったのかどうか知らないけどね。
少なくとも今風の設定であるようには思える。

今風と言えば、エンディングは尚更今風なのかな。
(これからプレイする気がある人は読み進めてはいけません)

ゼルダと言えば、もの悲しい、というか、世界は救っても結局自分がハッピーになるワケじゃない、っていう不文律があったように思われるが、最近の作品はそうでもない。
やっぱりハッピーエンドがいいみたいだな。
頑張ったらご褒美がいるって事なんじゃないか。
でも、ゼルダならではの後を引く悲しさみたいなものも入れなきゃならないから、フェイやらあれやらが、あんな風になるんでしょう。
私はまんまと感動させられてしまった。
よくよく考えると卑怯臭い感もあるんだが、まあ、あれはあれでいいじゃないかと私は思うよ。
これが2011年現在、今風のゼルダって事で私は納得している。


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