Wiiリモコン_2

わずかな希望 2007_11_19

 

Wiiが発売される前から、DSをプレイすることによってWiiの未来はある程度予想できるものだった。
おそらくその変化に自分は戸惑うだろうと予想することは簡単だったし、それを乗り越えることで素晴らしい体験ができるだろうと想像していた。
しかし、どうにもアテが外れたという気がしてならない。
Wiiになっても結局あまり得にならないのだ。
まさかこんな結果になろうとは、DSに心酔している時には思いも寄らなかった。

DSをプレイして私が感じていた、置き換える対象と実際の入力の同一性を上げることで喜びを増加させる、というコンセプトは正しかったと思う。
『宝島Z バルバロスの秘宝』の中でも、ノコギリを使うのとか、凄くイイ感触があった。
音が手元から出るのと振動の同期によって、かなり同一性が高まってくるな。
ベルを鳴らすのも悪くない。
Wiiリモコンにスピーカーを載せたアイディアは素晴らしいわ。
しかも、あの動作は常に一方向に行うもので、動作に精度を求めるものではない、というところも素晴らしいな。
Wiiリモコンの特性を見事に捉えた置き換えである。

しかし、ああいう使い方が出来る状況は限られている。
『宝島Z』が「宝探し」という、どうでもイイような目的を設定しているのは、どうにでも出来るような舞台設定が必要だからだとも言えるわけである。
何らかのストーリーなり、状況なりが先に決定されてしまったら、それによってWiiリモコンの使い道は制約されるだろう。
使い道から逆算してゲーム内容を決めていく方がWiiには向いているように思える。

一方、例えばいま私がプレイしている『スーパーマリオ ギャラクシー』なんかだと、ゲーム内容はWiiリモコンとは関係のないところで決まってきてしまう。
星の間を飛ぶときにリモコン振っても、そこには置き換えの同一性はない。
つまり喜びは増幅しないのだ。(マリオが飛ぶことが気持ちイイかどうかという問題ではない)
一つボタンを押すだけで済むことに、リモコンを振るという動作を強いられて、しかもちっとも嬉しくないんじゃ意味ないじゃん。

もう一つ例を挙げるなら、パチンコ玉弾きみたいな動作も、以前は右アナログスティックを使ってやっていたことを、ポインティングに置き換えただけである。
あれは取っつきという意味では多少メリットがあるが、コントロールの精度が落ちるデメリットがある。
ポインティングの部分の負荷を下げなければならないので、勢い難易度を下げる方向でバランス取りせざるを得ないだろう。
常に敵の「やられるの待ってる感」があるよな。
爆弾を振ります動作のように、一部優れたものもあるけど、概ねWiiリモコンは得にならない、というのが素直な感想である。
もちろんそれは「得にならない」ということであって、そのゲームが面白いかどうかとはまた別の話なのだが。

正直言って、『スーパーマリオ ギャラクシー』においてもこのような結果を生んでいることを考えると、Wiiリモコンの未来には暗澹とした思いを抱かずにはいられないな。
だって、Wiiリモコン作った当事者がこの程度にしか使えないんだから。
おそらく頑張ってもこの程度にしか使えないんじゃないか。
『宝島Z バルバロスの秘宝』を創ったのが任天堂ではなく、カプコンであったというところに、まだ微かな希望は残されているのだが。


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