王様物語_2

皇帝物語 2009_10_06

 

古来、人間という生き物は怠惰であった。
狩猟で食っていた時代はよく分からないが、農耕を覚えてからの人間には緩やかなときが流れていた。
基本的に、農作物はお天道様次第であって、人間が忙しいのはほんの一時である。
少々年貢の取り立てが厳しいことはあっても、それ以上どうしようもないから、人はぐうたらに過ごした。
後に遊牧というライフスタイルが開発され、よりのんびり生きることを覚えた民族もいる。

ところが、近代になってこれは一変した。
人間は勤勉であることを強要されるようになったのである。
我々は納税の義務だけでなく、勤労の義務や教育を受ける義務を課せられている。
近代国家は誠に過酷だ。
何もしないということが許されないのである。

何でこんな話を書いているのかというと、『王様物語』をはじめてすぐに「このゲーム、なんかシュールだな」と思ったからである。
『王様物語』の主人公は王様だけあって国民を有している。
有している、という表現が正しいかは別にして、国民を使役することが出来るのである。
ところが、国民のジョブは「のんきな大人」からスタートする。
で、ジョブチェンジさせるわけだが、私はそれを見て、なんだか国民がカワイソウになった。
近代国家を背負ったかつての日本人のような気がしたからである。
「のんきな大人」からスタートするあたりに何かしらの意図がありそうな気がした。

それだけじゃない。
国の周りにモンスターが住んでいる土地があって、それをやっつけて回るのもちょっと中華的な感じがする。
そこに住んでいるのが人間だったら単なる侵略以外の何ものでもないだろ。
たとえ鬼が住んでるにしても、鬼にだって住むところは必要じゃないか。
ちょっと気の毒だよな。
ちなみに我々日本人に与えられた「倭」という漢字は、半獣半人的なイメージを喚起するんだそうで、かつては我々も征伐されるべき鬼みたいなものであった。

おまけに、このゲームにはオルドまである。
周辺国を倒す度に、壺に閉じ込められていたお姫様を助けることになるのだが、私にはそれがどうにもオルドに思えて仕方ないのだ。
オルドというのはモンゴル皇帝の後宮のことである。
光栄の『青き狼と白き牝鹿』でおなじみのアレ。
侵略した国のお姫様をオルドに入れてチョメチョメ。
王様が子供だから変なことはしないけどね。

『王様物語』というネーミングとホンワカとした見た目に騙されているが、根底にあるものは酷くシュールなんじゃないか。
このゲーム、やればやるほどそう思うんだよな。
それは決して悪いものじゃなくて、むしろ思わずほくそ笑んでしまうようなエッセンスである。
同じシステムでも、『皇帝物語』と改題して、劇画調にでもしたら、全然違う印象のゲームになるだろうな。



<後日談 2009_10_11>

エンディングまでやると、この世界の秘密が明らかになる。
てっきり夢オチにするんだと思ってたけど、そうなるのか。
しかしそれはどうなんだ?と思わないではないが、それはここで触れる必要もないだろう。

一つ言えることは、子供の無邪気な空想と歴史的英雄が抱く雄図は同じモノだということである。
英雄が雄図を抱くと沢山の人が死んだり、巨大建造物を造らされたりで大変なことになるけど、同じ事をそこいらの子供がやっても家族や近所の人が迷惑を被るだけだ。
子供より更にスケールが小さくなると、迷惑を被るのは精々ネズミぐらいであって、大体みんながハッピーになりうる。
スケールが小さいって素晴らしいことだって今更のように分かるわけである。


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