「ファイナルファンタジー」の「ファイナル」は、当時傾きかけていたスクウェアにとって「最後の」というニュアンスを込めたネーミングだったらしいが、いまでは「究極の」という意味だと主張しているらしい。 「究極の」であれば、ナンバリングが続いていてもおかしくないでしょ、という話である。 創る人間が同じなら、考える事も同じで、「ラスト」だってそうかもしれない。 「最後の」ではなく「直近の」というぐらいの意味で捉えておいた方がいいんじゃないか。 そのうち、そんな言い逃れを耳にするときがくるかもしれない。 コラムに書いた話とダブってしまうのだが、このところ私は胃の張りに悩まされていた。 体の調子が悪いとなかなかゲームが進まない。 ゲームって自分に負荷をかけるわけだから、そりゃしょうがないでしょ。 しかし、ホントに死ぬかもしれんとおもうと、とりあえずいまやってるゲームだけは終わらせておきたいと思った。 何とか頑張って、胃カメラ飲む前日に『ラストストーリー』は終わらせた。 マジで苦しかったな。 いやしかし、『ラストストーリー』が人生最後のゲームだったら、ちょっとシャレが効きすぎだわい。 それはともかく、やってみたらいかにもヒゲのゲームだった。 ムービーの連続・・・だけど、合間合間にプレイヤーがちょっと操作する部分を入れておく。 そのムービーもシーンによって、早回し可、不可だけどスキップ可、早回し不可スキップ不可と細かく使い分け、更にムービーではなく、バストアップでの会話もいれて目先をマメに変えていく。 新しい技を覚えたらすぐに使う敵を用意するし、イベントボスの前には経験値稼ぎ用の魔方陣を必ず置いておく。 そして、パラメーターの上昇が比較的リニアにダメージに直結する計算式にする一方、レベルの上昇はサチるように設定しておき、一定の範囲以内にプレイヤーを持っていく。 戦闘も一戦一戦状況を完全に固定する。 状況を限定し、プレイヤーをきちんと把握した上で、それなりの壁を乗り越えてもらおう。 単位時間当たりの喜びを保証しよう。 心配り重視。 実にヒゲ的じゃないか。 日本だけじゃない、結果的には世界をも席巻したヒゲ式のゲームだ。 どっかの記事で「いままでとゲームの作り方を変えた」とかってインタビューを読んだような気がするんだが、どこが変わってるんだ? いままでとまるで同じ。 いや、別に悪くないけど。 「ラスト」の意味は最新作って意味で捉えた方が良さそうな感じである。 こんな普通なのが人生最後のゲームだったら、死んでも死に切れんよ、私も。 もうちょっと目新しいのにしてもらわんと。 最後にならなくてよかった。 ヒゲもこれに懲りずに、どんどん同じようなゲーム創ったらいいんじゃないの? 最後じゃないんでしょ。 |