スプラトゥーン2_15

分からないのが良いところ2 2018_12_16

 

いまだに『スプラトゥーン2』は私の生活の中心に座っている。
スプラをやりつつ、待ち時間に動画を観るのがごく当たり前の風景になった。
とはいっても、さすがにピーク時よりは大分落ちてきてはいるのだが。
せいぜい月120時間といったところか。
しかも、ガチの時間はどんどん減っている。
ガチはやっぱりシンドくて。
勝ってレートが上がると辛くなるから、一番得意であるはずのヤグラが一番やりたくなかったりするのである。

結局のところ、ずっとサーモンランに逃げている。
危険度MAXをクリアしてからも、ずっと。
もう今では危険度MAXぐらい毎日のようにクリアしているが、それでもサーモンラン。
最近では初心者をサポートしてクリアすることに意義を見出している。
やっぱりサーモンランは下手な人が多いのだ。
新人さんが一杯入ってくるし、下手な人でもすぐに「たつじん」に昇格しちゃうから、下手な人とも組まされてしまう。
それでもクリア出来るのであれば、それはまさしく私の貢献なわけで、とても楽しいのである。

リザルトを見ると、大体3回に2回は私の成績がトップだな。
私は、お前ら感謝しろよ、という気持ちでリザルトをいつも見ているのである。
しかし、私はある事に気付いた。
広場のお絵かきを見ていると、「クマサン大好き」系のコメントをよく見かけるのだが、これはそこと繋がっている。

私は下手な人たちに恩着せがましい気持ちでリザルトを見ている。
しかし、他の人には分からないじゃん、それは。
分からないのが良いところなんだ、サーモンランでも。
感謝しろよ、と思われていると気付いたら、下手な人もやりたくなくなるでしょ。
もちろん、感謝している人もいるはず。
最後に上手い人がひとり生き残ってくれたおかげでクリア出来た、ありがとう!って気持ちにもなるだろう。
でも、その気持ちも伝わることはないんだ。
だから、それが「クマサン大好き」に繋がっていく。
感謝する先がないから、クマサンに感謝が向かうのだろう。

本来ブラックバイトという位置づけのはずなんだよ、サーモンランは。
それなのに凄く暖かい。
誰に対しても優しい。
創り手側でも予想してなかったほど上手く回っているんじゃないかな。

チャット文化がない日本のゲームシーンにはピッタリなんだ、サーモンランは。
『2』になって、レギュラーにもガチにも居場所がないと感じる人でも楽しめる。
ホントにサーモンランがあって良かった。


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