『斑鳩』というゲームは楽しむことが難しい。 私はそう書いてきた。 あんまり難しい難しい言うと、これからチャレンジする人が減るから止めろよ!という向きもあるだろうと思うのだが、難しいと感じるのだから仕方がない。 私は有り体に書きたいのである。 そのかわり私は、いかにして自分がこの『斑鳩』というゲームを楽しめるようになっていったのか、ということも書いておきたい。 具体的にいうと、私の『斑鳩』は「ひどく間延びした、ひどく意地悪なシューティングゲームだ」というファーストインプレッションを覆すことだった。 私が書くことは上級者の皆さんとは違うかもしれない。 むしろ違って当然である。 なぜならば、私が書きたいのは『斑鳩』を攻略する方法ではなく、『斑鳩』から逃げようとする自分を攻略する方法だからである。 自分を攻略するために <その0> 準備 なにはなくとも、まず「アーケードスティック」。 これは用意しておきたい。 パッドの方向キーよりもスティックの方が優れている、などと私は全く思わないが、こればっかりは致し方ない。 この『斑鳩』というゲームは、座標を合わせるゲームではなく、「白か黒か」という属性を判断するゲームだからだ。 自機の属性を変化させること、選んで撃つこと、同色だけ残して力を解放すること。 この並列処理には、どうしてもボタン一個に指一本の対応が必要になる。 これは本質的な問題だ。 LRボタンでも対応できなくはないだろうが、アナログなのでかなり難しいと私は感じた。 タダでさえ楽しむことが難しいゲームなので、余計な負荷は事前に排除しておくことが望ましい。 もちろん純正の「アーケードスティック」を使う必要は全くないのだが。 余談になるが、「ツナイデント1・2・3」経由で、SSのコントローラーを使ってプレイしようと試みたところ、キーコンフィグがうまいこと対応しなかった。 自分を攻略するために <その1> 間を詰める 『斑鳩』をプレイしてはじめに思ったこと。 それは「ひどく間延びしたゲームだなあ」ということだった。 なんで間延びしているように感じるのかというと、それは『斑鳩』というゲームが敵を選んで倒すシューティングゲームだからである。 同色を3体ずつ倒していくことでボーナスが倍々になっていく。 ということは、倒す敵を選ぶ時間が必要になるわけだ。 逆にこのことは、プレイヤーが倒す敵を選ばなかったら用意してある間が無駄になる、ということである。 勢い間延びしてしまう。 つまり、得点を「稼いだ方が面白い」のではなく、「稼がなければ面白くない」のだ。 これがこのゲームの難しいところだと思う。 だって、面白いと感じる前の段階で、自分から間を詰めに行かなければならないのだから。 なかなか出来る事じゃないね。 だからこのゲームに挑むには、目標が違うんだ、ということをはじめに理解しておくことが大切なんだろう。 普通のシューティングみたいに「とりあえずクリア」を目標にするんじゃないんだ、と。 ハナから得点を狙っていくゲームなんだ、と。 ただ、ここで一つ書いておかなければならないのは、得点を稼ぐことで間を詰めていくと、いつしかまた間が空いてくるということ。 人間は慣れると判断が速くなったり、判断する必要がなくなったりするから。 そして『斑鳩』の本領はここからなのである。 空いた間を得点を稼ぐことでまた詰めていく。 間の空いた人には更に詰められるように、ザコ敵を用意してあるのだ。(いわゆる「早回し」) この「間を詰めて、間をあけて、また詰める」という行為の繰り返し。 私はこれを理解できたとき、「ああ、『斑鳩』が面白いってのは嘘じゃなかったんだ」と思った。 自分を攻略するために <その2> 避けない 『斑鳩』というゲームは、得点を稼がなければ難しくない。 それは得点を稼ぐことがゲームバランスに組み込まれているからである。 同属性を撃ったときの撃ち返しにさえ気をつけておけば、2面に進むのはそう難しいことではなかった。 2面に到達した私は「げっ!」と思った。 障害物がある。 なんかしらんが、たまを避けようとするとバンバン障害物にぶつかってしまうのだ。 「なんちゅう意地悪なシューティングゲームだ、こりゃ!?」と思った。 最近の縦シューティングでは、私の知る限り、壊せない障害物はほとんど出てこない。 おそらく「避け」がゲームの中心に座っているからだろう。 弾を避けるゲームに障害物は要らない。 ストレスが堪るだけだ。 そういう通常のシューティングゲームと同じ感覚でプレイしていると、「ひどく意地悪だ」という印象を持ってしまうのである、この『斑鳩』に。 しかし、それは間違いである。 『斑鳩』は避けないゲームなのだ。 同属性は吸収できるんだから。 そこを理解すると途端に障害物は異属性弾の盾になる。 得点を稼ぎ出すと「ああ、障害物ってありがたいなあ」と思いこそすれ、「意地悪だ」とは思わなくなるのである。 障害物が盾になるんだと気が付いたとき、私はこの『斑鳩』というゲームがひどく良くできたゲームなんだということを知った。 それは、「点を稼ぐためにプレイヤーはこの位置へ来るだろう」と創り手が想定していた事を意味しているのだから。 自分を攻略するために <その3> 最後に この『斑鳩』というゲームをはじめてプレイして、いきなり面白かった!などという人がいても私は全く信じない。 私はそんなはずはないと思うのである。 そこにはきっと何かがある。 そこにあるのは、「自分はシューティングゲーマーなんだ」という自負なのかもしれないし、「トレジャーがつまんないゲームを創るはずがない」という確信なのかもしれない。 私の話をするならば、それは「DCの最後ぐらい納得の行くプレイがしたい」という意地であった。 何でもイイ。 自分をゲームへと駆り立てる理由は。 それが何であっても、その全てを自分がプレイする力に変えていけたらいい。 私はそう思う。 |