魔界戦記ディスガイア_5

心残りの無いように 2005_01_11

 

『魔界戦記ディスガイア』をやめて、ようやくゲームライフが正常に回り始めた。
まずまず重畳である。
しかし、油断は禁物だ。
心残りは無いようにしておかなくては。
つまり、まだ書きたいことが残っているわけである。

『魔界戦記ディスガイア』を私は5周回った。
イベントはカットできる部分もあるのだが、各話の始めと戦闘後のイベントは飛ばすことが出来ない。
つまりイヤでも聞かなきゃいけないのだ。
イベントは愉快なトークで進んでいくのだが、やっぱり何回も聞いていると飛ばしたくなる。
私はボタンを連打していた。
そこで私は、おやっ?と思ったのである。
飛ばせない部分があるのだ。
会話の途中で別のキャラがつっこんでるケースでは、音声が飛ばせないようになっているのだ。
これはイイこだわりだな。
キャラクターの掛け合いを聞いてもらいたいっていう気持ちが伝わってくるんだ。

一方で、思い切って切り捨ててる部分もある。
『ファントムブレイブ』でもそうだったんだけど、オープニングムービーがない。
おまけに、スタート画面の文字がローレゾなんだな。
スタート画面を見たとき、スーファミ時代のゲームをプレイするような錯覚に陥ったことを覚えている。
おそらく、安く作るっていう基本線があるんだろう。
メディアはCDでいく、費用対効果の見地から省けるものは省いていこう、減らせるデータは減らしていこうっていう意図を感じる。

この拘りと切り捨てのバランス感覚が素晴らしいんだろうな。
声優さんは単価が安いから拘ってもいいけど、ムービーはやめておこう。
DVDを使うと色々入れたくなる、あるいは、入れなくちゃいけなくなるから、CDにしておこう。
その代わり、拘れるところは拘っておく。
ゲームシステムが非常にシステマティック(変な言い回しだけど)で、少ない労力で大きな喜びを与えられるようになってるところなんか凄かった。
ハードウェア側の限界を追わないで、敢えて自分たちで制限を入れておく事ができる極めて希有な存在なんだ、ここの人たちは。
その中でこれだけやれるんだから、凄いなあ、と感心するしかない。

私は最初『魔界戦記ディスガイア』を投げ出したんだけど、やればやるほどその凄さが見えてきた。
最大級の賛辞を捧げたい。
だから、もう勘弁してくれ。



<余談>
全くの余談だけど、私はPSPのコンセプトなんかも失敗だと思っていて、大きい器を見せると、大きなゲームを作らなくちゃならないという心理が働く。
画素が増えれば絵描きさんの仕事が増えるし、容量が増えれば入れる情報が増える。
PS2でみんなヒーヒー言ってるのに、携帯機で同じ事をやらせてどうしようというのか。
小さくゲームを創る選択肢としての携帯機に着目して欲しいと私は思うな。



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