こんにちは。 ワンダープロジェクトJ2、今終わったところです。 彼女、ジョゼットは私のもとから巣立っていきました。 実は今書くべきなのか迷っています。 今書いたら、この「ワンダープロジェクトJ2」というゲームの本質を読み違えてしまうかもしれないし、あるいは支離滅裂になってしまうかもしれない。 それでも、今しか伝えられないことがあるような気がするのです。 きっと長くなると思うので、下につなげることにします。 読む方はご注意ください。 また、これからプレイする予定のある方は、ごらんにならない方が良いと思います。 具体的なネタバレはないように書くつもりですが、先入観を持つと良くないかもしれませんので。 3月15日 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−− 私はとても感動しています。 もちろん「ワンダープロジェクトJ2」のエンディングを見終えてです。 正直言うとここまで感動できるとは思っていませんでした。 というのも、このゲームのシナリオは非常にステロタイプなのです。 エンディングも想像の範疇を越えるものではありません。 それでも私は感動しているのです。 私はこのゲームをこう考えていました、エンディングを見るまで。 <このゲームには2つの軸がある。 一つはジョゼットが持つ人工知能の作用であり、もう一つは作り手が一つ一つ 手作業で織り込んだイベントであると。 そして、ゲームのメインはイベント側にある。 作り手が仕掛けたイベントを起こすためにはどうしたらいいのか? いや、どうすればいいのかは分かっているんだけど、どう入力して良いか 分からない。 それを一つ一つ解き明かしていくことがこのゲームの楽しさなのだ。 ひょっとするとそれは、昔のコマンド入力式アドベンチャーゲームの楽しさに 似ているのかもしれない。> それは間違いではないと思うのです。 でも、それだけだったら今、こんな気持ちではいられないはず。 やはりこのゲームの本質はジョゼットそのものにあると思います。 『ジョゼット』とは何なのか? 私は『純粋無垢な存在』だと思います。 このゲームの中にある単純な対立関係、 <人の良い島民たち>VS<悪のシルコニアン> は、極めてステロタイプだと思うのです。 そこに展開されるストーリーもまた然り。 しかしながら、そこには『ジョゼット』という純粋無垢な存在が介在します。 いつもプレイヤーは、「ジョゼットに何をさせるべきなのか」を考えるあまり、自分がジョゼットに近い存在になっていると思うのです。 だからこそ、こうして自分は感動できているのでしょう。 思えば、このゲームは全てが良いという訳ではありませんでした。 ジョゼットが何らかのアクションをしている間、入力が効かなくてイライラしたり、ミニゲームがそれほど面白いと感じられないこともありました。 それでもこのゲームを最後までプレイできたのは、やはり『ジョゼット』という存在が私の中で大きくなっていたからだと思います。 私とジョゼットの心の旅は今終わりました。 ゲームを終えるといつも寂しさがこみ上げてきますが、今日の寂しさはまたひとしおです。 私にとってこのゲームの始まりは2度ありました。 一度はどうやってプレイして良いのか分からず、投げ出したのです。 たまたま、久しぶりに遊んでみようと取り上げたカセットの下にあった「J2」が目にとまり、再びプレイすることができました。 その偶然と私に感動を与えてくれた「ワンダープロジェクトJ2」に感謝したい。 <注> これはその昔、セガのBBSに載せたものです。もちろん勝手にですが。 |