スケールを変えることで得をする。 これは昔から使われている手法で、古くは『ザナドゥ』で既に画面を埋め尽くすサイズのボスキャラを登場させていた。 最近だったら、「地球防衛軍」なんかも、敵を大きくすることで、やってることは他のゲームと同じなのに凄いことをやってるような気にさせている。 この手法はギャップが重要なので、プレイヤーキャラを小さくしてもいい。 「ピクミン」とか『ボクは小さい』なんかはスケールを小さくすることで、何でも無い対象に大きな価値を持たせていた。 ただ、ギャップが重要だということに着目するなら、何もスケールに拘ることはないだろう。 『進め!キノピオ隊長』をプレイしていて、そのことに気付いた。 WiiUになんにも無いから『進め!キノピオ隊長』をやってたんだけど、これがメチャクチャ面白かった。 おまけの一部を除いて、お題も含めて全クリした。 久々にちゃんとゲームしたなって感じ。 じゃあ、一体何がそんなに面白かったのか?と考えてみると、不思議なことに首をかしげざるを得ないのである。 思い当たらないのだ。 だって、ひどく簡単だったから。 ステージを把握するのに少し手間取るものの、アクションの負荷と空間を把握する負荷を時間的に分離できるような設計になっているので、難易度自体は全然高くない。 かくしゴールドキノコって言っても、隠すところなんかそんなにないから、すぐに分かっちゃう。 このゲームをクリアして、こんなに満足できるのはむしろ不思議というべきである。 考えてみると、とにかくキノピオが嬉しそうだった、という一点に尽きる。 クリアしたときのキノピオの赤ちゃんみたい笑顔がよかった。 主人公がピノキオであればこそ、この程度でも凄いことをやったっていう説得力が出てくるよ。 だってこんなに喜んでるんだもの。 これは要するに、能力低いキャラを主人公に据えることによって、ギャップが大きくなってるんだ。 つまり得をしてるのである。 このことはなかなか興味深い示唆なのではないか。 普通ゲームでは能力の高い主人公を設定することが多いけど、そうすると能力の高い主人公を以てしてもなお困難なほど凄いことを成し遂げないとプレイヤーは満足できない。 もっと凄いことを、もっともっと凄いことを、と価値のインフレが起きていく。 勢い、ストーリーは現実離れしたものになっていくだろう。 だったら、はじめから主人公を頼りない主人公を設定した方が得だって判断は当然出てくるよな。 遊び手はより嬉しく、創り手はより楽になるはず。 なんでもこの『進め!キノピオ隊長』、開発の初期には主人公をリンクで創ってたそうだけど、これはキノピオで正解だったな。 キノピオじゃなかったら、こんなに面白くは感じられなかったと確信できる。 |