描写への情熱を感じた。 それは『鬼哭街』でのこと。 それを書いた人は「虚淵玄」。 エロゲー界ではちょっと評判の物書き兼任ゲーム監督である。 もっとも『鬼哭街』は分岐一切なしの単なるストーリーノベルなのだが。(その代わり安い) 『鬼哭街』がどんな作品なのかを書くことは出来ない。 なにせ選択肢一切なしなので、話を書くことは即ち営業妨害である。 もっともパッケージに付いているあらすじぐらいは書いても良いのだが、面倒なので省かせて欲しい。 敢えて分類だけ書いておくとすれば、「お兄ちゃんエロゲー」なんだけど、そこはそれ、「虚淵玄」が創るとこうなってしまうのである。 この『鬼哭街』では戦闘シーンの描写がすごく多い。 特に序盤はストーリーの進みが遅いので、尚更多く感じる。 私はいつも思うのだが、戦闘シーンというのは書きすぎると面白くない。 読み手としては、「非常に不利だったけど勝った」とか「一見互角に見えて、実は圧倒的に主人公が優っていた」とかいうことが判れば物語は成立するわけで、具体的にどう戦闘したかは興味の薄いところである。 でも、これは書きたかったんだろうな。 私はなんとなく判るような気がする。 この描写への情熱。 ある種、これは自分への挑戦かもしれない。 いわゆる「心理描写」という奴は、読み手に左右され易い。 言葉はそもそもが不安定なモノなので、「心理描写」に至っては評価すること自体が無理である。 だから書き手の力量というのは、むしろ具体的な情景の描写に現れる。(私見) 物語を説明するために必要な情景をどう描くのか? 書き手としては、どれだけ書けるか自分を試してみたくなるのも無理からぬ事なんじゃないか。 おまけに「虚淵玄」という人物は武器(武術?)マニアらしいので、もう「うおりゃあああ」とばかりに書いてしまったに違いない。 却って読みにくいような気がするんだけど、情熱はスゴイ。 圧巻である。 私の印象としては、戦闘をメインに書いた2人目までよりも、電脳戦を織り込んだ3人目やその後の展開の方が面白いと思う。(主人公が復讐を誓う敵は5人) だからといって、「もうちょっとなんとかしてくれよ!」などとクレームをつける気はない。 むしろ「どんどん好きなことを書いて頂戴」と私はお願いしておきたい。 やっぱり好きな事じゃないと、こうは書けないよね。 私は可能な範囲で我慢していく覚悟である。 よくよく考えると、この作品は単なる「お兄ちゃんエロゲー」なんだけど、好きなことを書くとこうなっちゃうんだ。 ホント天晴れって感じ。 |