加奈〜いもうと〜_2
主人公からプレイヤーへと '99_07_29
終わった。
ようやく加奈を助けることが出来た。
本当に良かったと思う。
「加奈〜いもうと〜」を始めて、足かけ9日になる。
最初の2,3日はかなりショックを受けて、夜目が覚めてはゲーム中の印象的なセリフが
甦ってきて悲しくなった。
「海を・・。もう・・・」
「願わくば、明日の・・・」
「昨日出来なかったことが・・・」(こういうのって書いちゃって良いのだろうか?)
何とか出来ないものかと、ずぅ〜っと考えていた。
まるで自分が劇中の主人公になってしまったかのようだった。
私は感情移入しやすい方だ。
それでもゲームを抜ければ、割とすぐに素に戻ってしまう。
にもかかわらず、この作品には悩まされ続けた。
これほどの経験はない。
しかし、今こうしてエンディングを迎えて、ようやく客観的な第三者、つまりプレイヤー
に戻ってこれたような気がする。
もう私は主人公ではないのだ。
私はプレイヤーとして、もしこの世界に続きがあるのならば、二人と彼らを支えた全ての
登場人物に幸あれと願わずにはいられない。
そして、客観的な第三者となった私は、あることを考えている。
ネタバレと呼ばれるものになるかもしれないので、これからプレイするつもりのある方は
読むのをやめていただきたい。
加奈が生き残るシナリオに突入するためには、加奈を守り続けなければならない。
ところが、その選択肢は必ずしも加奈のためになるとは思えない場合もある。
加奈のためを思えば敢えて突き放した方が良いんじゃないかと思ったばっかりに、加奈が
死ぬエンディングにたどり着いてしまうのだ。
ちょっと納得がいかない構成とも言える。
これをどう考えたらいいのか?
私が思うに、このハッピーエンドは作者の描きたかったものではないのではなかろうか。
つまり、決定的な死を目の前にした人間達を描くことに主眼が置かれているのではないか、
ということだ。
必ずしも生き残ることがテーマではないと感じた。
そうでないと、叔母が死ぬイベントを飛ばしているにも関わらず、ハッピーエンドに辿り
着けることに説明の付けようがない。
あくまであれはおまけ、あるいはプレイヤーへのサービスというべきだと思う。
とはいえ、あのエンディングのおかげで、私はここへ戻ってこれたのだ。
そしてこの作品から、人間として、プレイヤーとして、書き手として、それぞれに影響を
受けたことを記しておきたい。
素晴らしい作品だった。
<後日談 '99_07_30>
サッカーのメンツを探していた。
研究室が引っ越して広いサッカーコートが空いているのを見つけたのはよかったが、如何
せん人間の数が足りなかった。
以前はテニスコートを利用してミニサッカーをしていたので、3対3ぐらいで良かったの
だが、どう考えても10人以上は要りそうだったからだ。
そんな折り、ある学生とエレベーターで一緒になった。
お互い顔を知っている程度の間柄だが、彼はテニスが上手いことで良く知られている。
スポーツマンだ。
試しに誘ってみるか、と思い立った。
「あの・・、××研究室のかたですよね?
○○研究室のAさんと一緒に夕方サッカーしようかっていう話になっているんですけど、
ひょっとして、やってみたりしません?
あのコート広いから、一緒にやってくれる人探してるんです。」
私が思い切って話しかけてみると、
「えっ、所のレクリエーションとかじゃなくて?」
ちょっと驚いたように問い直してきた。
「そう、勝手にやるだけなんだけど。」
断られるのかなと思い、私はトーンを落として答えたが、
「やります、やります。
うちの研究室、4年生もいるから他にもやる奴いるかもしれませんよ。」
と、彼は笑顔で答えてくれた。
とても素敵な笑顔だった。
私は思わず
「言ってみるものだね。」
と呟いて、はっとした。
どうやら私はまだ抜け切れていないらしい。
(プレイしてない方にはわからない話ですね)