久遠の絆

格闘シーンは必要か 2000_06_24



その選択肢を見たとき、なんだか途端に物語が陳腐になっていくのを感じた。
それは「久遠の絆」の中でのこと。
高校生である主人公がケンカをするシーンで(事態はケンカと呼べないものに
なっているのだが)、『ローキック』『右ストレート』などの選択肢が出てく
るのだ。
そしてその後、格闘部分の細かい描写が続く。

別にどんな風に戦うかなんて、どうでも良いじゃん。
そんなもん必要なんか?と私は思った。
描写すればするほどに、せっかくの作品が台無しになっていくような気がした
のだ。

格闘シーンを読んで、『ああ、くだらない』と思ったことはこれが初めてでは
ない。
もう随分と前のことになるが、「To Heart」というエロゲーをやっていたとき
にも感じた。
パンチをどう出して、相手の攻撃をどうよけるか、なんていう妙に技術的な問
題は話の流れの中では余り意味を持たない、ただ冗長なだけだと。
ほか文章が上手いだけに、くだらなさが際立ったのだ。
まあ、「To Heart」の中では、格闘技そのものに情熱を注ぐ少女を描いている
のでやむを得ないといえば、そうかもしれないのだが。

私はいままで読んできた一般の小説なんかでは、格闘シーンをどう描いていた
だろうか?ということを思い返していた。
中学生の頃、繰り返し繰り返し読んだ吉川英治の「三国志」の中では、あまり
書いていなかったように思う。
力に差がある場合は「あっ」という間に決着が付くし、互角の場合は「100
合余りも矛をあわせた」とか、その程度だったように思う。
長じて読むようになった司馬遼太郎の作品でも、忍者もの以外では余り書いて
ないような気がする。

例えば、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島対決を書くときに、戦闘の具体的な
描写がないなんて事はあり得ないんだけど、それは必要不可欠だからである。
変に細かく書くよりも、そこへ至るまでのストラテジーに注力した方が作品は
面白い。
ただ行数を稼ぐだけの文章は読みたくないのだ。


戻る