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2年という時の流れ '98_11_26

         

「探偵神宮寺三郎〜夢の終わりに〜」と「〜未完のレポ〜」の間にある2年という歳月は、なにをもたらしたのだろう。

「夢の終わりに」をプレイし終えたとき、自分の中にこのゲームの世界が広がっているのを感じた。
それは内向きの広がりであったように思う。
このシリーズに前作があることを知ったとき、どうしてもやりたくなって買い求めてきたのが「未完のレポ」だった。

実際、「未完のレポ」は、2年前の作品とは思えないほどの完成度を示していたように思う。
面白いと思った。
が、そこに世界の広がりを感じることは出来なかった。

「夢の終わりに」を起動して目に飛び込んでくるムービー。
醜い天使の羽ばたきと、崩れた人形(人間の子供なのか?)のまなざし。
それはおそらく心象表現であろうと想像されるのだが、非常に印象的だ。
それだけではない。
ゲーム中に挿入される短いムービーも何かを訴えかけている。

その効果はオリジナルデザインを手がけていた寺田氏が、全面にわたって描いているという点を抜きにして語ることは出来ないはずだ。
しかし、それだけだろうか?

2年という歳月は、ゲームに確実に進歩をもたらしていた。
シネパックは驚くほど綺麗になっているし、アクセスも速い。
一本道のシナリオを複数の登場人物の視点で見せるシステムも、洗練されたものになっていた。
しかしながら、2年という時の流れがもっとも押し進めたのは、作り手の心の中の「探偵・神宮寺三郎」の世界ではなかっただろうか?
私が感じた世界の広がりは、とりもなおさず作り手の世界の広がりだったように思う。


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